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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年1月号

ワールドナウ

アフリカ障害者の十年と障害当事者団体の活動

中西由起子

はじめに

アフリカでは、アジア太平洋障害者の十年の成功に刺激を受けた障害当事者団体がイニシアチブをとってアフリカ障害者の十年が2000年に始まった。日本にはほとんどその情報が届かないまま2009年に終了し、2010年からは第2次十年が開始された。

DPI日本会議が、JICAの委託で2002年から5年間実施してきた「南部アフリカ地域障害者の地位向上」ならびに2007年から3年間実施してきた「アフリカ地域障害者の地位向上」の研修事業では、たびたびアフリカ障害者の十年を取り上げてその発展を支援してきた。第1次十年においては、最初のころには研修生から得られる情報は少なかったが、徐々に研修生の報告の中にも十年に関する活動が見受けられるようになり、進展していくのが感じられた。

2011年10月、南アフリカ・ダーバンで開催された第8回DPI世界会議3日目に「アフリカ障害者の十年」の分科会が設けられ出席したので、その報告とアフリカ障害者の十年事務局から得た情報を中心に、アフリカ障害者の十年の進捗に関して報告したい。

第8回DPI世界会議から見た十年

今年度より実施中の「アフリカ障害者地域メインストリーミング研修(自立生活プログラム)」のプログラム実施において何か支援ができるのではないかと考え、第8回DPI世界会議に出席した。本会議が行われる会場の大ホールの約半分弱を占めていたのは、筆者以外全員アフリカ人であった。

壇上中央にはアフリカ障害者の十年の事務局議長ローズウォーター・アリス・ムダリクワ。彼女はジンバブエの高校教頭であって、2004年度JICA研修の視覚障害者研修生である。フォローアップ研修で訪問したタイで参加したESCAP(国連アジア太平洋経済社会委員会)主催の南南会議での感銘的な演説とともに、彼女はすごく印象に残っていた。その隣には車いすの事務局最高経営責任者(事務局長)のクダックワシェ・デューベ。力強くよどみのないスピーチに彼の指導力を感じた。AU(アフリカ連合)を通してきめ細かに準備してきた第2次10年の実施体制に対する説明に、会場から疑問を挟む声を聞くことはなかった。

第1次アフリカ障害者の十年の成立と発展

ESCAP事務局を中心に実施されたアジア太平洋障害者の十年と比べて、アフリカ障害者の十年は障害当事者団体(DPO)の思いが突出していた感は否めない。2008年のメキシコの第5回DPI世界会議に集まったアフリカの障害者たちが10年の設立に合意し、全アフリカ障害者連盟(PAFOD)にそのロビイングを一任した。

十年は、アフリカ統一機構(OAU、2002年に改組され現在はAU)で宣言されることで、加盟国を巻き込んだ。実施に関しては、障害問題に対処するAUの専門機関であるアフリカ・リハビリテーション研究所(ARI)が責務を担い、DPOの中心であるPAFODとアフリカ盲人連合とともにARIと協議しながら10年を進めることになった。しかし、OAUの国々の財政的支援がないままに。最初の2年が過ぎた。ようやく2002年に、AU本部があるエチオピアのアディス・アベバで開催されたアフリカ障害者の十年汎アフリカ会議で12の目的を含む「大陸行動計画」がつくられ、AU総会で採択された。

12の目的は、1.障害者の完全で平等な参加を進める国家政策や立法の形成と実施。2.経済社会開発プロセスへの障害者の参加の推進。3.公的政策決定機関への障害者自身による参加の推進。4.障害者への支援サービスの向上。5.障害をもつ子ども、若者、女性、高齢者への特別な施策の推進。6.リハビリテーション、教育、訓練、雇用、スポーツ、文化的・物理的環境へのアクセスの保障と向上。7.障害の原因の予防。8.人権としての障害の権利の推進と保護。9.障害者団体の開発・強化支援。10.資金の活用。11.10年の活動の調整、モニタリング、評価のための体制づくり。12.障害に関する権利擁護と啓発。

引き続き2003年5月には、南アフリカ・ヨハネスブルクでアフリカ地域協議会議が10年を推進する事務局を設けることを合意し、合わせて南アフリカの招致を受けて事務局をケープタウンとすることとなった。そして、2004年に事務局が開設された。AUからの財政的支援がないままに2005年に十年事務局が主催したエチオピア・アディスアベバでの国際パートナーズ会議では、2006年から2009年までの優先課題を決定した。

以下、十年事務局が成し遂げたことをあげる。1.エチオピア、ルワンダ、モザンビーク、セネガル、ケニアの5か国で試行プロジェクトとして、国家十年委員会を設立。2.その5か国で、低経費のウエブサイト技術の研修を実施。3.セネガルでアフリカ女性障害者ネットワーク設立会議を開催。4.十年事務局のウエブサイトを開設。5.人権、開発、障害に関する機関誌の発行。6.障害と開発に関するマニュアルと、障害とHIV/AIDSに関するマニュアルを準備。7.エチオピアで国際パートナーズ会議の開催。

第2次十年の成立と実施

第2次十年は、ナミビアで開催されたAU開発担当大臣会議において宣言された。今回はAUの子どもや女性などに関するさまざまな決議、国連障害者の権利条約、ミレニアム開発目標などとの整合性を図りつつ、統一のとれた合理的な行動計画として、今までの「大陸行動計画」に代わる「大陸戦略的計画」を策定することになっている。

草案によると、優先活動分野には、1.正義と権利、2.教育、3.社会的保護、4.保健とリハビリテーション、5.女性、6.若者、7.子ども、8.生計・仕事・雇用、9.平和と人間の安全保障、10.情報コミュニケーション技術(ITC)とジェンダー、を含む横断的問題があげられている。それぞれに目標、活動、成果が定められている。

十年事務局の移転

十年の事務局は2010年6月21日をもって、同じ南アフリカの首都のプレトリアに移転した。これによってアフリカで最も障害者施策が進んでいる、新興工業国の仲間入りを果たした南アフリカの強力な支援のもと、第2次十年の着実な取り組みが期待される。実際に分科会の壇上には、南アフリカ障害者協会事務局長から女性・子ども・障害者省子どもの権利と障害者部副部長に昨年4月に任命されたゾリシ・トニーも並んでいたことは、それを裏付けている。

事務局は前記5か国を含めた25か国で活動を行った。広範なアフリカ全土で十年を普及させるのは大仕事であると思われる。2007年にアフリカ障害者の十年親善大使に任命した有名なセネガルの歌手であり作家のパぺ・ディウフの働きもその意味で期待されるであろう。

現国連障害特別報告官であるシュエイブ・チャックレンが初代事務局長を務めるなど、トップ障害者リーダーが事務局には関わっている。今後は、PAFODの強化のために、十年事務局を改組してアフリカ障害フォーラムを設立し、それに肩代わりさせていこうという計画も進んでいる。

終わりに

今回の世界会議ではかなり直前まで参加登録人数が少ない、政府の支援が決まっていないなど、周到な準備を行う日本からみると不安を感じさせる要素が多々見られた。しかし、到着したダーバン空港にはPBL(リフト付き障がい者用搭乗補助車)は完備され、数台のリフト付き送迎バスが待っていて、ダーバンは想像以上に障害者に優しい街であった。

開会式では2つの大型スクリーンに国際手話と南アフリカ手話通訳が写り、2000席は埋まっていた。アフリカの歩みは遅いかもしれないが、「このように立派に会議を成し遂げられた我々は、やれば何でもできるのだ」という南アフリカの障害者の自信に強く印象づけられた。会議の成功から世界の一流国の仲間になったと宣言する南アフリカのように、参加したアフリカ人はみんな希望にあふれてみえた。楽観的というべき彼らの思考は、閉塞状態の日本からみると羨ましくさえあった。彼らといると、私も第2次十年は成功させられるという気になった。

(なかにしゆきこ アジア・ディスアビリティ・インスティテート)