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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年1月号

列島縦断ネットワーキング【東京】

東京精神科病院協会主催「心のアート展」という試み
~アートを通じて「人・心・病い」について考える~

荒井裕樹

2011年10月20日~24日、東京精神科病院協会(以下、東精協)主催のアート展「第3回 心のアート展 生命の光芒―再生と律動―」を開催しました。第1回(2009年2月24日~26日)、第2回(2010年4月21日~25日)を開催した「東京芸術劇場」(豊島区)から、「アーツ千代田3331」(千代田区)に舞台を移し、5日間で1000人を超える来場者を迎えることができました。

「心のアート展」は、東精協加盟67病院に入院・通院する方々の絵画・造形作品を対象とした公募展です。今回は19病院から約300点の応募があり、写真による1次審査と実見による2次審査を通過した130点が展示されました。またこれとは別に、本アート展の主旨にご賛同くださったアーティストの作品も招待展示されました。回を重ねるごとに参加者・参加病院の裾野が広がり、100号を超える大作の油絵から、集団制作の陶芸やコラージュなど、応募作品のバリエーションも豊かになっていくことは、実行委員として喜ばしい限りです。

なお会場となった「アーツ千代田3331」は、現代のアーティストたちが集う最先端の情報発信地の役割を果たしています。精神科病院のスタッフが中心となってこの会場でアート展を開催することは、もしかしたらアーティストが臨床現場で患者のケアを行うことくらい、難しくかつ挑戦的なことであったと思います。

精神科病院に入院・通院する方々が制作した努力の結晶を「審査」するということに、もしかしたら違和感を持たれる方もいるかもしれません。これには、会場の広さとの兼ね合いで出展数を制限しなければならないという物理的な問題があると同時に、アート展に「出す人―観る人―携わる人」が心から感動できる個性的で独創的な催しにするため、少しでも「良い作品」を展示したいという本アート展の主旨に則ったためです。

ただ、この「良い作品」というのは、とても難しい問題です。技術的に「上手い作品」を集めただけでは平凡な絵画展になってしまいますし、「作り手が頑張って制作した作品」を基準にすれば、すべての作品にその資格があります。果たして「良い」とは、誰(だれ)にとって、何を基準にして「良い」ことなのか? 制作者の切実な生命(いのち)の息遣いが、観る人の心にも響き伝わるような表現とはどのようなものか? 細やかな筆跡に沁み込んだ制作者の声なき声・呟き・ため息・独り言・魂の叫びを聞き逃すことなく、きちんと汲み取ることはできるのか? 一点一点の応募作品に、実行委員が試されている緊張感があります。

この悩ましく難しい審査を行うために、本アート展では、臨床現場と芸術分野の両面で豊かな経験を持つ加賀乙彦(審査員長・作家・精神科医)、立川昭二(北里大学名誉教授)、仙波恒雄(日本精神科病院協会名誉会長)、齋藤章二(斎藤病院院長)、安彦講平(〈造形教室〉主宰)の5名が審査員を務めています。審査員はすべての応募作品に眼を通し、それぞれが心ゆさぶられた作品を推薦することになっています。

第2回展からは賞を設け、該当作品を会期中に表彰することになりました。これは決して「順位」や「優劣」を競うための賞ではなく、あくまで審査員が個人的に共鳴を受けた作品の制作者に対し、今後の制作活動を奨励するための賞で、表彰状も実行委員と審査員とが協力し、世界に一枚しかない手作りのものを用意しています。

「心のアート展」や同主旨の絵画展などに携わっていると、時折、来場者から「絵を描くだけで、本当に心の病が治るのですか?」という質問が寄せられることがあります。私は医療者ではないため専門的なお答えをすることはできませんが、このようなアート展に携わる中で得た経験の範囲内で申し上げると、おそらく絵を描くだけでは心の病は治りません。心の病は、風邪やすり傷が治るようにして治るわけではないようです。

心を病む人の周囲には、家庭・学校・職場など、生活の根幹に関わる部分で、とても閉塞的で生きにくい人間関係が存在することがあります。心の病は、症状自体は個人の身体に現れたものですが、その実、当人を取り巻く人間関係自体が病んでいると表現した方がよい場合がしばしばあります。「心の病」がキーワードになっている現代は、そもそも日本の社会自体がどこかで歪み、病んでいるのかもしれません。

人は誰しも、自らの足で、しっかりと人生の道程を歩むためには、安心し、信頼し合える人間関係が絶対に必要です。何らかの病気や障害を抱え、人よりも多くの生きにくさを感じている人にとっては、なおさらのことです。「心のアート展」に出展された作品の背景には、造形制作を糸口にして、そのような人間関係を作り、サポートしようとする各医療現場の努力が滲(にじ)んでいたように思います。本アート展が、そのような努力の発表・研鑚の舞台になればよいと思っています。

ですから、先の質問に答えるとすれば、「心の病は、絵を描くだけでは治りませんが、自由に絵を描けるような安心できる環境がなければ治りません」と言うのがふさわしいかもしれません(もちろん適切な医療ケアは不可欠です)。人の心を打つ作品が生まれるためには、創作テーマについて相談し、画材の使い方を共に考え、絵筆を動かしつつ不満や愚痴を聞いてもらい、時にはきちんと意見を言い合える、何気なくも温かな人間関係の蓄積が必要です。結果的にそのような関係性が、病み疲れた心を癒していくのだと思います。

できることなら、このような現場の空気そのものも観ていただきたいのですが、残念ながらこれは生モノですので展示することができません。ただその片鱗(へんりん)だけでも伝えたいと思い、本アート展では、出展者が自作の前で制作の経緯や思い入れを語る「ギャラリートーク」や、出展者・医療者・アーティスト・来場者など立場を越えた人々が車座になり、自由に語り合う「座談会」といった企画を行っています。またコラージュやステンドグラス作りのワークショップも設け、一方向的に作品を「観る―観せる」アート展ではなく、相互交流・参加型のアート展になるよう心がけています。

最後に、これからの「心のアート展」の課題を二つ挙げてみたいと思います。一つは、参加病院・参加者の裾野を広げることです。本アート展はまだ3回目を終えたばかりで、それほど認知度が高いわけではありません。新たな出展者、新たな作品が出てくることは、先に述べたような関係性がどこかで芽生えていることでもあると信じて、裾野を広げる努力をしたいと思います。

二つ目は、広く一般の人々の心にも届く展示会にすることです。アート作品は、展示され、多くの人に観られることで、制作者の想像を超えるほど生まれ変わります。また生まれ変わった作品は、観る人の心も変えてしまう力を持っています。

残念ながら、現代の日本はとても生きにくい社会です。「心のアート展」に寄せられた作品も、多かれ少なかれ、この社会の生きにくさを凝縮したような要素を秘めています。しかしながら、ただ暗いだけではなく、この閉塞感を切り拓くようなエネルギーも、陰鬱さを和ますようなユーモアも、同時に合わせ持っています。一人でも多くの人を、このエネルギーとユーモアに巻き込みたいと思っています。

「心のアート展」はまだまだ「試み」の段階ですが、現代における「アートの役割」「医療の役割」、そして「人間の役割」そのものを見直すような展示会にしていきたいです。

(あらいゆうき 心のアート展実行委員、日本学術振興会特別研究員)