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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年2月号

バングラデシュの女性障害者

金澤真実

1 はじめに

開発途上国に生きる女性障害者は、「女性、障害、貧困という3つの差別に直面」していると言われている。後発開発途上国のバングラデシュで生きる女性障害者もまた例外ではない。彼女たちはその存在を家族からも認められることなく、差別と不利益の中で生きている。筆者は、1990年よりバングラデシュの女性や女性障害者と活動し調査を行ってきた。本稿ではその経験の中から、バングラデシュに暮らす女性障害者の概要と彼女たちがバングラデシュという文化の中でどのような困難に直面しているのかについて、その一端を紹介したい。

2 バングラデシュという国

「ベンガル(人)の国」を意味するバングラデシュ人民共和国(以下、バングラデシュ)は、インドの東側に位置し、北海道の約2倍の面積を持つ。そこに日本を上回る1億4千万人(2011年)が住み、世界で最も人口密度の高い国の一つとなっている。国民のほとんどが国教のイスラム教を信仰している。ベンガル湾に面し、ガンジス川など3大国際河川のデルタ地帯であるため、バングラデシュといってすぐに思い浮かべるのはサイクロンや洪水などの天災と貧困にあえぐ人々の姿である。とはいえ、近年の経済発展はめざましく首都ダッカの「発展」ぶりは、昔を知る者にとっては驚くばかりである。しかし、今でも国民の約7割は農村地帯に住み、国民の半数が貧困層と言われ、1日1.25ドル以下で生活している。

3 女性障害者の概要

2011年3月に実施された国勢調査で、障害についての調査が初めて行われた。現時点ではまだ結果は発表されていないので、バングラデシュ全体の障害者数は不明である。2007年にバングラデシュ統計局によって行われたサンプル調査では、障害者の人口比は、0.9%(男性約1%、女性0.8%)である。NGOによるサンプル調査では、1番多いもので約14%(1995年)で、女性の占める割合は56%であったと報告されている。

バングラデシュの属するアジア・太平洋地域では、2002年に「びわこミレニアム・フレームワーク」(BMF)が採択され、第2次「アジア太平洋の障害者の十年」に各国で取り組むべき七つの優先領域を定めた。女性障害者は優先順位の2番目に挙げられており、バングラデシュ政府も女性障害者への取り組みを行ってきた。2007年には、政府の取り組みに対する中間評価が発表され、政府の女性障害者に対するさまざまな取り組みに対する評価とともに、いまだ残る課題として8項目が挙げられている。

それを大まかにまとめてみると、次のようになる。バングラデシュでは女性の地位向上は進んでいるが、女性障害者に関してはその恩恵を受けることなく、いまだに家庭内でも差別を受け、医療や教育、雇用へのアクセスを否定されている。また、身体的、性的虐待を受けるリスクが高く、男性障害者に比べて結婚相手を見つけることが難しい。地域やセルフヘルプグループ、障害当事者団体などへの参加が限られており、移動にも困難がある。

4 女性と障害

バングラデシュでは、女性であるということは障害に対するリスクの一つである。女性は一生のうちに平均4回出産すると言われているが、専門家の立ち会いのもと安全に出産をする女性は2割にも満たない。そのため、出産時の事故で障害者となる女性もいる。さらに、酸かけ(Acid Violence, Acid throwing)によって障害者となることがある。

酸かけは、主に18歳以下の少女と女性が被害者であり、「加害者との性的関係を断った」「結婚の申し出やダウリー(結婚持参金)の支払いを拒んだ」「家庭内の争い」などから、硫酸などを主に顔めがけてかけられるものである。1999年から2010年までに把握されている被害者だけで3,114人にも上っている。酸かけは、多くの場合、失明を余儀なくされ、皮膚や筋肉が溶けてしまうために手が不自由になるなどの障害を負う。その上、心に大きな傷を抱え社会的にも孤立し排斥されてしまう。

筆者の知る被害女性の一人は結婚の申し出を断ったために相手から、もう一人は夫婦喧嘩の末に夫から酸をかけられ失明状態となった。また、精神的な虐待により障害者となる女性もいる。非障害者であったある女性は結婚したものの、嫁いだ家はあまりにも貧しく日々の食事にも事欠いていた。ある日、彼女は同居していた舅から売春を強要されたという。彼女はそれを苦に鉄道自殺を図ったが未遂に終わり、両下肢を失って障害者となった。

女性障害者、特に知的障害や聴覚障害をもつ女性たちが、性的虐待の被害を受けている。性的虐待は、家族の一員や地域の人によって行われることが多い。治療の名のもとに伝統的な治療師が、知的障害や視覚障害のある女性たちに、性的虐待を行うケースも報告されている。しかし、両親が娘の性的虐待被害を知ったとしても、加害者よりも被害者が非難される社会であるバングラデシュでは、被害を表ざたにすることを好まない。

5 女性障害者と結婚

バングラデシュの女性のほとんどは,貧富の差や宗教の違いにかかわらず家父長制の枠組みの中に生きている。伝統的に女性の地位の根源は家族にあり、女性の役割は社会制度としての家族を維持することである。そのため最も重要な女性の役割は、子どもを産み育てることを通して子孫を継続させることである。男児は優遇され、よりよい教育、栄養や医療を手にする一方、女性は主に子どもを産む役割が重視され、経済的に依存する負の財産として従属的な地位を与えられてきた。女児は、結婚生活がうまくいくようにするためのあらゆる責任を負うことを期待されて育てられ、社会からもそう扱われている。女性が仕事をもち自立して生活することが一般的ではないバングラデシュでは、結婚はまさに「永久就職」として、男性の保護の下に一生食べていくことができる一種の保障でもある。

このように、社会的にも経済的にも重要な意味を持つ結婚であるが、女性障害者の非婚率は約50%に上る。政府の統計による女性の非結婚率(2004)は28%であるので、明らかに女性障害者の非婚率は高い。女性障害者の結婚を妨げている理由として、障害者は家族に不幸をもたらすという迷信や、家事労働などの妻としての役割に障害のある女性は応えられないばかりか、婚家の重荷になると考えられていることなどがある。また、裕福な女性障害者の家庭では、このような理由で「結婚に適していない」とみなされる結婚適齢期の女性障害者に、結婚よりも学業を修めるようにとの勧めがなされるという。

「運よく」結婚することになったとしても、結婚に際して、多額の現金や品物、土地などがダウリー(結婚持参金)として相手先に贈られている。しかし、結婚して数年後、贈られた持参金をもって夫が出て行ってしまうということもある。また、結婚後に、さらなるダウリーを要求されることもある。さらに、結婚生活を続けていても、夫や夫の家族からの言葉や身体への虐待もまた、珍しいことではない。

6 女性障害者と教育

農村に住む大多数の女性障害者は、教育にアクセスすることは困難である。そもそも学校に通わせることを両親や地域の人々が喜ばない、校長が入学を認めない、学校までのアクセスが特に雨期には困難、通学時のハラスメントの心配などさまざまな理由から、多くの女性障害者は教育を受けたことがない。ある女性障害者は、自宅の目の前が学校で姉妹はそこに通っていたにもかかわらず、彼女自身は教育を受けたことがない。

特殊教育については、公立の学校は、知的障害5校、聴覚障害7校、視覚障害5校、身体障害5校の全22校があるが、そのうち女子学生用の寮があるのは、知的障害児のための1校のみである。また、視覚障害に関しては、1県に1校、計64校の統合学校(インテグレート教育校)があるが、女子寮は1校もない。女子の盲教育は、ダッカにある定員80人の私立校1校のみである。障害のある女児、少女が特殊教育を受けようとしても、女子寮がなければ入学できない。障害をもつ女児と少女は、一般校からも特殊学校からも多くの場合、排除されている。

7 新たな動き

女性障害者が経験する差別や排除は、イスラム教の影響だけとはいえないバングラデシュ固有の文化や社会的背景の中で行われる。これらは女性の面からみればジェンダー差別、障害者の面からみれば障害者差別ということができる。これらの差別は別々の課題としてはすでに明らかにされているが、女性障害者にはこの二つが一人の身の上に同時に起こる。

ジェンダー差別と障害者差別が、バングラデシュの文化や社会的背景の中で相互に関連づけられながらより強化しあう方向で、女性障害者への差別と社会的排除として現れているのではないか。そのため彼女たちは貧困の悪影響をより多く受け、彼女たちの上に貧困が固定化していると言えるのではないだろうか。とはいえ、BMFや障害者の権利条約などの影響によって、バングラデシュの女性障害者にもほのかな光が見えている。

先に述べたように、十分とは言えないまでも、バングラデシュ政府はBMFに沿って女性障害者に関するさまざまな政策を行っている。また、障害者団体全国フォーラムの担当者からの聞き取りによれば、2008年に発表された「国家女性開発ポリシー」では、女性障害者が初めて最も脆弱な人々として位置づけられたのをはじめ、「国家災害ポリシー、アクションプラン」(2010年)でも女性障害者が取り上げられているとのことである。このように、政策面では女性障害者への支援が整いつつある。しかし、問題はそれが実践されるのかということである。

障害当事者団体でも、支援のプロジェクトに女性障害者の参加を促している。筆者が調査したいくつかの当事者団体では、女性障害者のスタッフもおり、農村地域で展開している支援プロジェクトにも女性障害者の参加がある。しかしこれらの支援はどこでも、男女一緒のグループを組織し活動を行っている。バングラデシュの文化的背景を考えると、男女一緒のグループが、女性障害者にとってよりよい支援結果をもたらすのか、筆者は疑問を持っている。しかし、日本で研修を受けた障害当事者女性によって、2007年に女性障害者の地位向上のためのNPOが設立され、アドボカシー活動が始まった。まだ全国規模の活動とは言えないが、女性障害者自身による女性障害者のための活動として、今後の活動に期待が持てる。

以上のように、政策レベルでも当事者レベルでも、女性障害者に対する取り組みが徐々に行われるようになっている。しかし、中央政府の政策が大多数の女性障害者が住む農村地域で確実に実施されるにはかなりの時間が必要であろう。また、学歴がモノを言うバングラデシュ社会にあって障害者運動もまた、都市部の高等教育を受けた「エリート」障害者が担っていることが多い。農村やスラムで生活し、教育とは無縁の数多くの女性障害者たちと都市部で障害者運動を担っている者たちとの「距離」をどのように埋めていくのか、つまり当事者団体は草の根の女性障害者の声なき声を聞き、それを代弁する者となりうるのかが、バングラデシュの女性障害者の直面している困難な人生に希望をもたらす鍵であるように思う。

(かなざわまみ 日本盲人キリスト教伝道協議会)


(注)字数の関係上引用した文献や注を記すことができなかった。文献や引用についての詳細は、筆者の「開発途上国の女性障害者の結婚をめぐる一考察」、『コア・エシックス』8巻を参照してほしい。2012年4月以降、立命館大学大学院先端総合学術研究科HPからPDFファイルでダウンロードできる。