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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年4月号

1000字提言

遙の表情

永瀬哲也

娘の遙は生前に13トリソミー(13番目の染色体が2本ではなくて3本という異常)と診断された。医師は「生まれてこれる確率は半分以下でしょう。生まれてきても学校や幼稚園に行くのは難しいと思います」と我々に覚悟を促す配慮ある説明をした。

数か月後、遙は生まれた。必ず生まれてくると信じてはいたが、本当に奇跡だと感じた。自分の両親に孫の誕生を知らせる電話をしたが、嗚咽してしまい言葉が詰まった。後で知ったのだが、受精あるいは分割時の50%は何らかの染色体異常がある。出生時にはそれが0.5%と100分の1となる。ほとんどの染色体異常の子どもは生まれることができないのだ。妊娠したことさえ気づかないままに亡くなっていることも少なくない。染色体異常のある子どもが生まれてくることは本当に奇跡なのだと思う。

生後2か月の時に、遙は自宅で戻したミルクを詰まらせたことで心肺停止となった。医師のおかげで何とか蘇生していただいたが、自発呼吸は戻らなかった。脳が真っ白になったCTの画像を見せられ、「脳の機能はほとんど失われている。できることは何とか今の状態を維持すること」と言われた。脳死に近い状態であることは理解できた。その後数か月は体のいろいろな部分でバランスが崩れ、それが戻りという繰り返し。さらに敗血症にも陥り、「この薬が効かなければ、もう手はない」ということも数度あった。しかし、奇跡はもう一度起きた。遙の体調は安定してきたのだ。泣き声をあげることもなかったが、遙にはちゃんと表情もあると感じていたし、ただそこにいてくれればいいと思った。

遙は自宅に帰ってきた。そしてその後、通園施設に通う挑戦を行うまでになった。主治医が書面で施設への病状説明を書いてくれた。そこには「喜怒哀楽を表すのが難しいので、表情から読み取るしかありません…」。その文を読んで、ポロポロと涙がこぼれてきた。生まれてから遙をずっと診てくれていた医師は、遙に「表情がある」と感じていてくれたのだ。遙の脳の機能がほとんど失われていることを彼は知っているにもかかわらず、そのように娘を見ていてくれていたのだ。

遙は施設への通園を許された。4月の入園式には私も参加した。お友達と比べても遙が最重度であることがわかり、受け入れていただいた施設のご決断には本当に感謝した。式次が進み、「春の風」の斉唱となった。「…ぷくぷーく太った木々の芽をスイースイーとなでながら…」私は抑えきれず、涙を流していた。家内も泣いていた。遙は何もしゃべらない。でも、新入生らしく緊張しながら、そしてちょっと誇らしげだった顔が「ママ、パパ、なんで泣いてるの?」という不思議そうな表情に変わった。

(ながせてつや 人工呼吸器をつけた子の親の会会員)