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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年5月号

時代を読む31

日本初の標準形電動車いす全国販売(1971年)

1971(昭和46)年、日本初の電動車いすは、自動車部品メーカである株式会社今仙電機製作所より販売された。

1965年以降、すでに販売されていた手動車いすをベースとして、重度障害者向けの電動車いすの研究が、全国の大学や研究所で行われていた。その中にあって、労働福祉事業団・労災義肢センターの所長であった土屋和夫氏より「折角(せっかく)研究しても論文発表して終わってしまっては、障害者の役に立たない。多くの障害者の方々に使用してもらって初めて成果となる。是非(ぜひ)、共同研究して製品化して欲(ほ)しい」との熱い要請があった。

当時は、地方からの集団就職が「金の卵」と重宝される慢性的な人手不足の状態にあり、技術者を本業以外に振り向ける余裕が無い中であったが、土屋氏の熱意と社長の決断によって、1970年に株式会社今仙電機製作所に医療器部(1982年、分離独立して株式会社今仙技術研究所となる)が発足し、電動車いすの開発が始まった。

1971年に初めて販売した電動車いすEMC-3型は、前輪の2輪がモータ駆動する動輪、後輪の片輪が操舵輪、もう片輪がキャスターという構造で、大きなレバーハンドルを使って操作する方式であった。走行速度は、レバーハンドルを前後に操作することで6段階に切り替わり、最高速度は3km/h。進行方向は、レバーハンドルを左右に操作することで操舵輪をレバーハンドルからのシャフトで直接かさ歯車を回転させて操舵していた。その外観から「戦車」と呼ばれたEMC-3型は、レバーハンドルの操作移動量が大きく、ある程度の腕力がないと動かせないことから対象者が限られ、3年間で30台しか売れなかった。

また、電動車いすを自費購入される方は当時から少なく、朝日新聞厚生文化事業団の寄贈や、現在も続いている日本テレビの24時間テレビ「愛は地球を救う」の寄贈に依存していたことも普及しなかった要因であった。

その後、現在の主流であるジョイスティック方式の電動車いすが開発され、電動車いすが補装具の支給対象となったことから全国的に普及するようになった。

(長縄正裕 株式会社今仙技術研究所常務取締役)