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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年5月号

1000字提言

アフリカ国境の主役たち

木島英登

コンゴ民主共和国(旧名:ザイール)。国家は長らく崩壊。無秩序が支配する。隣国ルワンダとの国境では、小麦、鶏、山羊(やぎ)、野菜、衣服、雑貨、その他もろもろの材料、ありとあらゆる生活物資が運ばれていた。

阪神・淡路大震災のあった1994年に人口の6分の1が虐殺されたルワンダ。現在は復興に成功し、人々はモラルを持って生活していた。バイクタクシーは運転手も乗客もヘルメットを着用することが徹底。環境配慮のため、商店ではビニールではなく茶色の紙袋が使われることに驚く。道路も整備され、ゴミも落ちていない。

一方のコンゴ側。道路は未舗装でガタガタ。無数のバラック小屋がたち並び、匂いが立ちこめる。規範と無秩序の境目が国境である。

その国境の主役は障害のある人たちであった。荷台のついた大きな手こぎ三輪車いすに、たくさんの荷物を乗せて国境を越える運び屋だ。運転手は小児マヒや、ポリオ、脊髄損傷、手足欠損のコンゴ、ルワンダの障害者。そこに三輪車いすを押す屈強な若者が1人か2人付く。150人以上が働いていた。女性ドライバーも多い。自動車、バイクは通行禁止なため商売は彼らの独占。

大声を張り上げて客を取り、大型車いすを操りながら、厳しい国境ゲートをわがもの顔で通り抜けていく。何でも有り。強い者が勝つだけの無秩序。混沌でのたくましさ。障害も違いの一つでしかない。多様性のコンゴを象徴する風景である。これも一種の福祉就労なのか。福祉の概念など無い場所であるが、助け合いは存在する。

ブルンジ(ルワンダの南、ある統計によるとアフリカの最貧国と言われている)とコンゴ民主共和国との小さな国境でも、やはり三輪車いすの運び屋が往来していた。

障害があっても一生懸命に働く人の姿を見るとうれしくなる。それが物乞いであったとしても。隔離され、存在を消されるよりはマシである。社会の中で、俺たちも生きている!と強烈に主張していた。

アフリカ。貧困や飢餓のイメージが強調され「恵まれない子どもたち」という表現も使われるが、勝手に不幸と決めつけて蔑(さげす)んでいるように感じる。

活力に溢れた市場。走り回る子どもたち。障害のある人も驚くほど街に出ている。車いすの人と目が合うと手を振って笑顔を交換するのが楽しい。同志の連帯感というべきか。見えない振りをする日本とは対照的である。

(きじまひでとう 車いすの旅人、バリアフリー研究所代表)