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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年7月号

1000字提言

障害の主流化を問い直す

野際紗綾子

なんか遠い。自分には無理――これが、ミャンマー(ビルマ)で当会が運営する障害者の職業訓練校を初めて訪れた時に、感じたことだった。私の中のそんな心の壁は、現場で活動していく中でいつしか消えていた。だが、その壁は社会の至るところにあった。同国ヤンゴン市内のレストランに脳性マヒの友人と入った時、まるで「化け物」を見るような周囲の視線が友人に突き刺さった。平然とした友人の隣で、私は強い憤りを感じた。

心の壁はそのまま社会的な壁になる。このことを、途上国の支援活動の現場で実感してきた。2008年に大型サイクロンに襲われたミャンマーの聴覚障害者団体には、当会によって初めて食糧が届けられるまで、2か月間何の支援もなかった。保健医療分野の調整会合で「ミャンマーには障害者はほとんどいないから議論は不要」と発言した医師もいた。

また、2009年のインドネシア国パダン市での教育分野の調整会合では、NGO、国連、現地政府が、市内すべての学校に対する支援が終わったと声高らかに発表していた。しかしそこには、31の障害児のための学校は含まれていなかった。

これは遠い途上国の話ではない。日本でも――東日本大震災の被災地でもその他の場所でも――障害のある方々への配慮があまりにも少ない。もちろん障害分野の会合に参加すると、決まったメンバーたちと、非常に意義深い議論ができる。

だが「決まった顔ぶれ」を一歩出ると社会は厳しい。ある助成機関に災害緊急支援の申請をした時には「なぜ緊急支援で障害者を支援する必要があるのか」と問われた。比較的理解のある企業が提案するプログラムも「障害者を変える活動」だった。だが真に変わるべきは「社会」――この点を活動に組み込むための交渉は長引き、事業開始は半年遅れた。

社会の多くの人々は、いまだ障害のある方々を遠くよく分からない存在と思っていないだろうか。かつての私と同じように。そんな人々を抱える社会を、すべての人に優しい社会へとシフトするためには、既存の枠組みを一歩出た新しい繋がりや取り組みも必要だろう。たとえば、昨年7月から現在まで開催された5回の宮城県復興支援連絡調整会議では、障害分野の協議もできたが、これは障害分野関係者のみの協議ではなく、復興全般の中に障害者福祉の観点が入ったことを意味する。

社会を変えるためには、障害当事者の視点を、別枠ではなく社会の中心に据える必要がある。そして社会を変えることは、同時に、心の壁を持っていた私自身を変えることでもある。このことを心に留めながら、今後も活動に尽力していきたい。

(のぎわさやこ 特定非営利活動法人 難民を助ける会 東北事務所長)