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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年7月号

ワールドナウ

ロールモデルとしてのアメリカと日本の福祉制度

林令子

第二次世界大戦後アメリカは民主主義、自由平等の理想の国としてテレビや書物等で紹介されてきました。そのため多くの日本人は、弟や妹がお兄さんお姉さんに憧れをもつようにアメリカをロールモデルとして憧れをもってきたと思います。私は1970年代に、女性解放をうたう日本の女性グループがアメリカのフェミニストを招いて講演会を行い、日本の男尊女卑の風習を非難したのを覚えています。また、日本の女性評論家が、アメリカ人は女性を尊敬し、男性は女性のためにドアを開け先に通すなど、アメリカの風習を紹介したのを覚えています。

1980年代にはアメリカの障害者運動活動家が来日し、自立生活(IL)運動を紹介しました。車いすのアメリカ人障害者が政府機関や市民団体の幹部として、健常者並みの給料を稼いでいると知って、日本の障害当事者は大変驚いたそうです。日本にも1960年代から障害者解放運動はあったものの、当時、ほとんどの障害者は受け身の障害者としての生き方をしていたため、障害当事者が自立生活センターを運営し、給料を稼ぎ、主体的に生きているというアメリカの現実は夢のような話だったのです。

その後、何人かの日本の障害当事者がアメリカに渡り、アメリカの自立生活センターで研修を受けました。彼らは自立生活運動について学んだだけでなく、アメリカで生まれてはじめて一人前の人間として、また無性の存在ではなく、女性または男性として扱われる経験をしました。研修生の中には研修が終わってもアメリカに残りたかったが、泣く泣く帰国したという話も聞きました。自立生活センターで出会ったアメリカ人障害者を憧れのお兄さんやお姉さんのように慕っていた日本人研修生も多かったと思います。

アメリカをロールモデルとしてきた日本の戦後の歴史のせいか、障害者政策についても、いまだにアメリカの方が進んでいると思っている日本人が多いようです。

1990年に障害者の人権を守るための「障害のあるアメリカ人法(ADA)」が制定されました。この法律により、アメリカでは障害者の人権が守られていると思っている方もいるようですが、実際には、アメリカでは法律が制定されても、それが施行されるとは限りません。

ADAの役割は、障害者個人や障害者団体関係者が法律違反を受けたりそれを目にした場合、法律に基づいて訴訟を起こすことができるということです。多くの訴訟とその脅威から徐々に社会改革が進んできましたが、個人として訴訟を起こすことは大変な勇気と資金と時間がかかるため、簡単にできることではありません。またADAをなし崩しにしようとする政治的な動きは制定当時から始まっています。

私は20年以上アメリカに住み、アメリカの良い面も悪い面も目にしてきましたが、この20年間、日本の障害当事者運動には目を見張るものがあり、その結果、障害者政策はある面ではアメリカに追いつき追い越したのではないかと思っています。

アメリカと日本の違いは、特に障害者に対する政策の違いというのではなく、文化と価値観の違いと言えるかもしれません。アメリカは個人主義で強い者の国と言えます。アメリカには国民皆保険制度はありません。国民皆保険制度の案が出されるたびに、民主主義と自由平等に反する共産主義のアイデアだとして拒否されてしまいます。4,600万人のアメリカ人は健康保険を持っていません。働いている人でも雇用主が健康保険を支給しない場合は、個人で100%保険を購入しなくてはならないので、高い保険料を払えずに保険なしで済ませる人が多いのです。

アメリカでの破産の主な原因は、医療費だと言われています。大病にかかり手術が必要な場合、病気の心配だけでも大変なのに、医療費の心配もしなくてはなりません。健康保険が無かったり、健康保険が十分保証をしない場合、医療費を払うために家を売却したり、医療費が払えなくて破産したりする人が多いのです。アメリカで成功している知り合いの日本人外科医は「もしあなたが外科医ならアメリカ、患者なら日本にいた方が得」と言っていました。

低所得者のためには国の生活保護健康保険メディケイド制度(http://www.medicaid.gov/)がありますが、メディケイドの施行については50州それぞれ異なる政策を持っており、また厳しい基準が適用されます。先日、私の友人の車いす障害者が虫歯のために苦しんでいました。彼はメディケイドを受けていますが、私たちの住んでいるユタ州のメディケイド制度は歯科治療の支払いをしないため、病院に行かずに我慢していたのです。そのため歯茎が化膿して頬が大きく腫れていました。

アメリカには障害者手帳や障害者年金の制度もありません。社会保障障害保険(SSDI)という年金制度がありますが、これは働いて税金を払っていた市民が障害者となり全く働けなくなった場合に、本人と家族に支給されるもので、他の障害者はこの年金を受け取る資格はありません。多くの障害者は補足的所得保障(SSI)という貧困者のための補助金を受けていますが、SSDIにもSSIにも厳しい規則が適用されます。

そのため日常介護(助)の必要な障害者は、自費で介護者を雇うか生活保護のメディケイドで介護を受けることになります。働くことができる障害者でも、自費で介護者を雇ったり健康保険を購入する余裕の無い人は、仕事をあきらめ、貧困レベルまで生活水準を落とし、メディケイドで介護を受けることになります。

メディケイドの介護制度は州ごとに大きく異なります。国の法律により「介護の必要な者は老人ホームで介護を受ける権利がある」とされているため、多くの障害者が老人ホームで暮らし、その経費は州のメディケイド制度が支払っています。高齢者でも障害者でも、自由もプライバシーもない老人ホームで管理されて生きるのを好む人はあまりいません。障害者運動の強い州では、メディケイドが老人ホームに支払う資金を、地域で生活する障害者の自宅に介護者を派遣する費用にまわすように要求し、制度改革が進んでいます。障害者運動の強くない州では、高齢者も障害者も本人の意志に反して老人ホームに送られることが続いています。

このような現実に対して、障害者団体は、特にメディケイド制度改革を要求しています。ユタ州では眼科と歯科治療費を出すように要求しています。国レベルでは、障害者が本人の意志に反して老人ホームに送られないこと、メディケイドが地域での介護サービス費を支払うよう要求しています。

つい最近、国の保健社会福祉省が、メディケイドによる地域での介護サービスの改革条例を各州に通達し、個人の生活の質の向上を目指した地域での人間中心のサービスプランを推進するよう要請しました。障害者運動関係者は、通達を運動の勝利として喜んでいますが、アメリカでは国が条例の通達を出したからといって、州レベルでそれが施行されるとは限りません。障害者団体は州レベルでの政策の実施を要求し、監視し続けなくてはなりません。また、次の大統領や国会議員の選挙で政治の風向きが変われば、メディケイド政策が一夜にして改悪されないとは限りません。

アメリカでは1960年以降、障害当事者の運動によって障害者の権利が確立されました。現在では障害児の教育を受ける権利や統合教育が常識となっています。各大学には障害のある学生を支援する「障害者センター」が設置されています。アメリカ全土には400以上の自立生活センターが存在し、それなりに地域の障害者にサービスを提供しています。政府や民間の機関に障害のある職員が働いているのを見かけるのもまれではありませんし、70~80年代に活躍した障害者運動活動家が、今では政府の高い地位に就いているケースもあります。

ADAは他の国の障害者法や国連障害者の権利条約推進に影響を与えました。しかし一方で、多くの障害者が仕事に就くことができず、社会の底辺でメディケイド政策の改悪を恐れながら暮らしているのも現実です。

民主主義の日本でもアメリカでも、国民参加の基本を忘れず、障害当事者の運動が政策改善の方向に向けて、政府と社会に要求し続けていかなくてはならないと思います。

(はやしれいこ ユタ大学准教授)