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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年7月号

ほんの森

ハンセン病療養所の自己表現史
隔離の文学

荒井裕樹著

評者 関義男

書肆アルス
〒165―0024
中野区松が丘1―27―5―301
定価(本体2,200円+税)
TEL 03―6659―8852
FAX 03―6659―8853

昨年、同じ著者による気鋭の「文学論」が二冊誕生した。一冊目が『障害と文学』、二冊目が『隔離の文学』である(『障害と文学』は先に本誌で紹介済みなのでここでは触れない)。障害学という視点を持つ両書は密接に関連し、この視点からの本格的な文学論は私の知る限りこれまでに無く、先駆的な意味を持つ。特に二冊目の本書『隔離の文学』には新しい知見と発見があり、論考方法にも工夫と独創性がみられる。

主に療養所内患者が絶望的な境遇の中で創造した作品群を分析対象としているが、著者の目的は文学の質を論じることではない。ハンセン病患者が描き表現した字句をとおして、その心理と実像に迫り、国家権力を後ろ盾にした療養所の姿を浮き上がらせる。同時に文学が「癩予防法」による「隔離政策」推進のための有効な手段として利用された実態を明らかにしていく。第二章と第十章では閉鎖された環境における患者たちのさまざまな意識、特に「断種」(優性思想)に否応なく向き合わされる患者たちの姿に胸が締めつけられる。

感情的情緒的字句を一切排除し、丹念に蓄積した資料と冷静な分析による論理で貫かれる本書の底辺に流れているのは、過去のハンセン病政策への批判と告発である。

本書の中で最も刺激的な章は第三章~第六章だ。ハンセン病文学を語る上で欠かせない作家と言えば北條民雄の名があげられるが、第三~四章はまさにこの作家にあてられている。著者は、北條民雄が自己同一性を維持するために懸命に背伸びをした生きざまに〈身振り〉という語句を創案してかぶせる。過去の文学者であれば〈演技〉としたかもしれぬが、〈身振り〉の語句が新たな北條民雄像を浮かび上がらせる。

北條民雄の本音ともいうべき「日記」の一部分が友人の手によって書き換えられていること、定本全集では何を書いたか不明だった部分に伏字を埋めてみると天皇(制)批判であったこと、また自筆ノートではこの日の日記に限って筆力が弱く、その心理が如実に読み取れることなど、本書で明らかにされた発見は著者であればこそ成しえたものといえよう。川端書簡の補強が主だった定本全集の不完全さが改めて認識され、このような最新の研究を踏まえた決定版全集の刊行を望みたくなる。

小川正子『小島の春』では、文中の「病友」という語句の使用頻度に着目し、主観的一方向性の「善意」が隔離という形で患者を支配していく過程を明らかにしている。

各章末の(注)は詳細で、おしげもなく舞台裏をのぞかせてくれている。恐らく本書は今後のハンセン文学研究に必須のテキストになるだろう。

(せきよしお フリーライター、しののめ同人)