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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年7月号

証言3.11
その時から私は

私が体験した3.11と石巻地域の今

石森祐介

2011年3月11日午後2時46分。あの千年に一度と言われる東日本大震災から、早くも1年が経過しました。今思うと、ただの悪い夢と現実逃避したくなる時もありましたが、津波や原発事故によってもたらされた被害を見聞きするたびにあの日の光景が鮮明に蘇ってきます。

大震災発生時、私は自宅1階の自室に一人でいました。とっさのことで、まず机の下に潜り込みました。私は、時と場所によって電動車いす、もしくは手動車いすを使い分けて移動していますが、自宅内では杖か手すりがあれば自力で移動できます。母が迎えに来てくれたので車で逃げようとしましたが、近所の知人宅に出かけていた祖母が戻って来てなかったため、母が祖母を迎えに行き3人で車に乗り込もうとふと外を見ると、水が迫ってきているのが見えました。車で逃げるのをあきらめ、急いで2階へ上がりました。その時、玄関から水が流れ込んでくるのが見えました。床上浸水1メートルの中、近所の人やどこからか逃げてきた人が5人ぐらい2階に集まってきて、一晩一緒に過ごしました。

ラジオから数百人単位で遺体が見つかった話や、ある集落が水没したといった絶望的な情報が流れ続ける中、私は猛吹雪と津波で水に浸かった家の周囲を呆然と見ながら、次々に来る余震に怯えるしかありませんでした。やがて吹雪が止み、辺り一面が暗闇に包まれたころ、夜空を見上げると星空でした。今思うと、それはまるでこの大震災で亡くなられた方々の魂が夜空に舞い上がったかのようでした。大震災直後の大停電の中、星空は残酷なくらい美しかったことを今でも鮮明に覚えています。

翌日、陸上自衛隊の皆さんが駆けつけてくれ、避難することができました。自宅の1階部分は瓦礫(がれき)やヘドロなどで覆いつくされ、電化製品はすべて使用不能になり、車や電動車いすもすべて流されました。後に車は自宅近くの自衛隊の敷地から見つかりました。あの時一足先に車に乗り込んでいたら…危ないところでした。そして約2か月、自宅には戻れませんでした。祖母・母・私の3人は自衛隊の人が運んでくれた市役所に身を寄せました。

その後、県外にいた父親と兄が駆けつけて、一家5人での避難所生活が始まりました。2日ほど宿泊していましたが、大勢の人の中にいるストレスに耐えられなくなり、それを気遣った両親のおかげで東松島の母方の家に身を寄せることができました。初めは福祉施設に移動しようかとあちこち当たりましたが、どこも満杯で入れるところはありませんでした。

ただ、今改めて考えると、家族や親戚、そして友人たちがみんな無事で自宅に戻って来れただけでも感謝しなければなりません。自分を含め周囲の人間がみんな助かったからこそ、これから新しいことを始めようと考える余裕があるのですから…。しかし、親戚や友人の中でも津波で家が消失し、大切な人を亡くしてしまった方々など、震災の被災者でしか本質的には分かち合えない大きな悲しみを味わった方が多くいることもまた、重い事実です。また、震災の影響のPTSD等で心が傷つき、疲れ切ってしまった方も多くいます。しばらく私も母方の家に避難して、連日発生する余震と友人の安否確認ができなかったことによる不安感で精神的にきつくなり、気が滅入ることがままありました。しかし、私たち親子を受け入れてくれた母方の家の人の方が過度のストレスで気が滅入っていたと思います。

自宅は両親、兄、友人、ボランティアさんのおかげで何とか片づけることができ、避難してから2か月後、やっと自宅に戻ることができました。電化製品を買い直し、自宅での生活に戻れたことを改めてうれしく思います。

そして私は今、隣町の石巻市で新しい活動を始めました。去年の8月中旬、地元の障がいをもった当事者の先輩と数年ぶりに再会し、彼が県内外のさまざまな福祉関係のボランティアや支援団体の力を借りて、石巻地域に住む障がいをもった当事者のサポートをして、自分たちが主体で行動できるように、住みやすい環境を創り出していくための団体を設立しようとしていることを知り、私もその活動に参加することを決めました。

まだ、右も左も分からない中での活動ですが、私たちが住む石巻の地域福祉における多くの問題点が少しずつ見えてきました。それは、被災したことによるのもありますが、それ以上に震災前から地元の障がい者に対する閉鎖的な環境によるものもかなりあったと思います。

地元石巻には、特に身体障がいをもった当事者が定期的に通い、語り合えるような場所がほとんどありません。また、知的障がいや精神の障がいをもった当事者も、施設や家の中に閉じこもりがちな方がいまだに多くいます。そこで「社会と繋がれる場所が無いのなら自分たちで創ってしまおう」と私たちが感じていることを少しでも声を上げて伝えていき、福祉サービスを利用しながら、私たちにとって住み心地が良い街に変えていきたいと考えています。そのためには同じような考えの人に一人でも多く出会い、仲間を増やしていくことが大切です。

現在は地元石巻を紹介する冊子作りをしています。名前は「にょっきり」、これからどんどん活動の芽が育っていくように願いを込めました。私たちが街に出て、地元の方々の話を聞いたり、食事に行ったお店の紹介やバリアフリーチェックなどを載せています。「被災地障がい者センターみやぎ石巻支部」のブログ(http://dl.dropbox.com/u/57974329/nyokkiri_vol2.pdf)からダウンロードできます。どうぞよろしくお願いします。

(いしもりゆうすけ 被災地障がい者センターみやぎ 石巻支部)