音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年10月号

新計画の作成と権利条約

川島聡

はじめに

本稿では、内閣府障害者政策委員会(以下、政策委)の下で検討されている新しい障害者基本計画(以下、新計画)について、障害者権利条約(以下、権利条約)の観点から、ごく基本的な事柄について述べてみたい。

第2回政策委に提出された委員の意見は、その多くが権利条約に言及し、依拠している。では、そもそも権利条約の「根幹」(中核)に据えられる考え方とは、どのようなものであろうか。私見では、それは「障害の社会モデル」と「条約の一般原則」である。社会モデルが権利条約の「幹」で、一般原則は「根」である。この「根幹」は、権利条約時代に作成される新計画の中核にも据えられるべきものだと思う。

これと同様の理解は、第2回政策委に提出された委員の意見に見られる。後藤委員はこう述べる。「今回の改正は、障害者基本法改正の経緯からも、障害者権利条約を批准するための条件を整えることであるべきと考えます。それには、障害の社会モデル(権利条約前文(c)(ママ))、権利条約の一般原則(第3条)等の同条約の前提となる諸原則は、基本計画においても、横断的(通則的)に確認しておくことが必要と考えます」。

一般原則

権利条約は、障害者像を「恩恵・保護の客体」から「権利・法の主体」へ転換させ、その権利の効果的な実現を国内で確保するように、国家にさまざまな義務を課している。権利条約が実現しようとしている基本的価値を列記したのが、権利条約第3条に定める「一般原則」である。本条は、「一般原則」の中身として、1.人間の尊厳、2.自己決定(自律・自立)、3.差異の尊重、4.機会平等、5.社会参加(社会包摂)、6.アクセシビリティ、の6つを記している。

6つの「一般原則」は、相互依存の関係にある。たとえば、アクセシビリティが保障されれば、障害者の機会平等と社会参加は促進されるだろう。逆に、障害差別が生じれば、障害者の尊厳が害され、その社会参加と機会平等が妨げられるだろう。権利条約を日本国内で効果的に実現するためには、新計画の骨格も「一般原則」に立脚する必要がある。

現行障害者基本計画(平成15~24年度)と改正障害者基本法(平成23年)にも、「一般原則」の中身への言及が見られる。たとえば改正障害者基本法に関して言えば、「全ての障害者が、障害者でない者と等しく、基本的人権を享有する個人としてその尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい生活を保障される権利を有すること」とか「全て障害者は、社会を構成する一員として社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会が確保されること」という表現(3条)は、「一般原則」の中身を記したものだと考えることができよう。

第2回政策委に提出された意見の中では、6つの「一般原則」のうち、特にアクセシビリティの概念を重視する傾向が見られる。たとえば石野委員は、「「アクセシビリティ」の概念は共生社会を構築する重要な言葉であり、精神です」という。また、藤井委員はこう述べる。「障害者権利条約に基づく基本的視点として「アクセシビリティ」を取り上げるべきである。現行の基本計画では「社会のバリアフリー化」などが取り上げられているが、より広範な、建物、交通、情報、言語やコミュニケーション手段の選択、司法や政治への参加、制度利用(欠格条項の見直し等を含む)、文化的生活等に関わる包括的な概念として含めるべきである」。

社会モデル

ここから、権利条約の「幹」をなしている社会モデルについて述べよう。第2回政策委に提出された意見の中には、社会モデルへの言及が多く見られる。社会モデルに関する理解にはさまざまなものがあるが、権利条約の前文(e)は社会モデルを採用していると考えられる。

前文(e)に定める「障害」(ディスアビリティ)とは、あえてざっくり言えば、「当事者の不利」(平等な社会参加の阻害)のことを意味する。そして前文(e)は、「当事者の不利」は「機能障害」と「社会障壁」との「相互作用」で生じる、と記している。

社会モデルには、「用語法」と「因果関係」の側面が含まれている。それぞれを簡略化して説明すれば、次のとおりである。「用語法」の側面は、「障害」という用語にかかわる。つまり、社会モデルでは、「障害」は「当事者の不利」の意味で用いられる。そして、「当事者の不利」の原因として「社会障壁」の問題を強調する視点が「因果関係」の側面である。社会モデルは、「相互作用」という言葉を用いるが、医学モデルに対抗する視座であるため、特に「社会障壁」の問題を強調するところに大きな特徴がある。

社会モデルの用語法は、ときに不毛な混乱をもたらす。そのため、たとえば政策委の差別禁止部会では、社会モデルの「用語法」(障害=不利)を採用せず、「障害」という言葉を基本的には「機能障害」(インペアメント)の意味で用いることに合意が得られた。一般論としては、社会モデルの観点から障害政策を形成する際には、基本的に「因果関係」の側面を駆使して有益な知見を得ることを重視すべきであり、「用語法」の側面にあまり拘(こだわ)らないほうが良いだろう。

なお付言すれば、社会モデルを医療・リハビリテーションの否定と結びつける考え方は妥当でない。なぜなら、国の制度と社会の慣行が、「一般原則」の実現に役立つ医療・リハビリテーションを提供できていないこともある種の社会障壁であり、社会モデルはその問題を強調するからである。医療・リハビリテーションを自己目的化するのは妥当でないが、それは「一般原則」の実現にとって大変重要な役割を果たすのである。

社会モデルの考え方は、現行障害者基本計画のいう「ノーマライゼーション」の概念にも見られる。すなわち、「障害者を特別視するのではなく、一般社会の中で普通の生活が送れるような条件を整えるべきであり、共に生きる社会こそノーマルな社会であるとの考え方」は、社会モデルにそくしたものだと言えよう。

ただ、気をつけなければならないのは、諸外国では「ノーマライゼーション」の概念は、「異常な者」(障害者)を「普通の(ノーマル)者」(健常者)にする、という意味で用いられる場合があるということである。実際、権利条約の起草過程では、「ノーマライゼーション」という言葉はほとんど用いられなかった。権利条約自体も、この言葉に一言も触れていない。日本で「ノーマライゼーション」という言葉が肯定的に広く使用されてきたことも考慮に入れて、この言葉をこれからも使い続けるべきか一度検討して良いのかもしれない。

おわりに

権利条約の「根幹」とは、要するに、社会モデルの視座から「一般原則」が実現していない現状にアプローチすることを意味する。そして、このアプローチは、権利条約の観点から新計画に向き合う際の基本的な姿勢になると言えよう。

このアプローチは、「一般原則」が実現していない事態の原因を個人の機能障害に安易に求めてしまう姿勢(医学モデル)とは正反対である。医学モデルから見れば、「一般原則」の実現を妨げる原因は機能障害に還元される。そのため、障害政策の主要課題は、国家が機能障害をなくすための自助努力を奨励したり、支援したりすることのみにとどまるだろう。しかも医学モデルは、突き詰めて考えれば、障害者の存在自体(あるいは一般原則)を否定しうる視点となる。

これに対して、社会モデルの視座では、「一般原則」の実現を妨げる主たる原因として、障害者をとりまく社会障壁の問題性が強調される。社会障壁には、たとえば適切な医療とリハビリテーションを地域で提供できない構造的問題、尊厳・参加・平等を害する偏見と差別、建物・交通機関の利用を妨げる物理的障壁、自立生活の支援に必要な財源の不足などが含まれるだろう。

当事者が主体的に参加しながら、「一般原則」の実現を妨げる社会障壁が何かを明らかにし、それを効果的に除去できる方策が何かを探り、現行国際人権法や先進的国内法制と突き合わせながら国家の義務内容を明確化していったのが、権利条約の作成過程である。この過程と同様に、新計画を作成する際にも、社会モデルの視座から「一般原則」が実現していない現状に徹底的に向き合うことが必要となろう。

(かわしまさとし 東京大学先端科学技術研究センター客員研究員)