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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年10月号

1000字提言

“競技”か否か

夫彰子

深夜、ロンドンで8月29日に開幕した第14回夏季パラリンピック大会のテレビ中継をチラチラ見ながら、これを執筆している。当原稿は10月号用に依頼を受けたもの。刷り上がる頃には、とっくに旬を過ぎた話題になっていそうだが、パラリンピックに誘引された障害者スポーツにまつわる取材体験について書いてみようと思う。

全国障害者スポーツ大会団体競技部門で、九州地区大会を制した福岡県内4チームのうち聴覚男子バレーボールと知的男子バスケットボールの2チームについて、県が全国大会出場を辞退させていたというニュースを09年10月、記事にした。取材のきっかけは、偶然目にした聴覚障害者関係の業界紙。県の対応への批判が載っていた。取材を進めると、出場辞退--強制的に出場させないことを「辞退」と言うのも変だが--は1回限りの話ではなく、その年2月に突如県が設けた選考基準により、翌年以降も繰り返されると分かった。

県の担当課は、4チーム分の宿泊・交通費を負担すると当初予算を上回ることを、理由の第一に挙げた。もう一つは「全国障害者スポーツ大会とはできるだけ多くの障害者が参加するためのもの。過去に全国大会出場の経験が豊富な2チームより経験の少ないチームを優先した」だった。

「自分が選手なら、県の言い分に納得できるだろうか」。一連の取材をしながら何度も考えた。この問いはもちろん反語的だ。全国障害者スポーツ大会は「障害者の国体」と呼ばれるが、“本家”国体には予算上の出場制限はない。過去に何度出場しようと「今年の大会」は選手全員にとって今年限りだ。「納得できない」との思いは強まる一方だった。県はその後、基準を一部修正したが、出場制限枠は撤廃されなかった。

パラリンピックでは近年、トップアスリートたちが鎬(しのぎ)を削る「競技性」が重視されている。その是非は人によって判断が異なるだろうが、多くの選手は勝利を求めて出場しているはずだ。一方、全国障害者スポーツ大会の位置付けは曖昧だ。団体種目は地区大会の優勝チームが出場すると競技性に傾くが、個人種目では成績重視が明記されていない。スポーツは「勝ってなんぼ」という競技性の一面もあれば、参加し楽しむことに意義がある一面も持つ。異質の両者を一つの大会に混在させること自体、そもそも問題なのかもしれない。

当時出場を辞退させられた知的男子バスケのコーチから今春、連絡を受けた。10月に岐阜県で開催される今年の全国大会には出場できるとのこと。その知らせに喜びつつ、福岡県の出場制限枠が今も残っていることに、複雑な思いを禁じ得ない。

(ぷちゃんじゃ 毎日新聞記者)