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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年1月号

時代を読む39

歩行補助具としての白杖の歴史

古代より、視覚に障害をもつ人が杖を用いて歩いていたことが、さまざまな文献により確認されている。杖をどのように使っていたかについては、日本人にとっては馴染(なじ)みの深い座頭市の歩き方が典型的ではないかと思われる。この「杖」が「白杖」になったのは、1930年に米イリノイ州ペオリア市でライオンズ・クラブが白杖普及運動(the White Cane Movement)を始めたことがきっかけだった。

この白杖が実際にいつ日本に上陸したかは定かではないが、公的には1960年の道路交通法制定により、視覚に障害をもつ人の白杖の携行と白い杖を持った人の保護について定められ、補装具としても白杖(盲人用安全杖)が交付されるようになったと思われる。

ところで読者の皆さんは、白杖には短い杖と長い杖があることをご存知だろうか?白杖を使って歩く場合、短い杖だと前述した座頭市の歩き方になり、路面を確認しながら歩くためには相当ゆっくりと歩かなければならないが、長い杖(ロングケイン)を合理的な方法で使えば、視覚障害があっても熟練者は健常者の75%の速さで歩くことができると言われている。長い杖を使った歩行技術は第二次世界大戦中(1943年以降)、米軍の中尉でペンシルベニア州のヴァーレ・フォージ総合病院の眼科医であったリチャード・フーバーにより開発され、フーバー・ケインテクニックと呼ばれた。この技術は1960年代以降には大学の修士課程で、現在世界に広く普及している白杖歩行技術として発展した。

このフーバー・ケインテクニックは、1964年頃から視覚障害者更生援護施設であった国立東京視力障害センターの歩行訓練の技術として導入されていたようである。しかし当時の記録写真を見ると、使用されていた白杖は機能的なものとは言い難いものであった。質の良い機能的な白杖が普及したのは1970年7月、日本ライトハウスがアメリカ海外盲人援護協会の協力を得て米国の講師を招き、第1回歩行指導員養成研修会を開催した以後のことと思われる。この受講者たちが日本で歩行技術を普及しようとした時に、研修で使用したようなロングケインを調達することから始めなければならなかった。国内の企業に依頼し、白杖を製造する試みが最初に行われたが、彼らの試みの中でもっとも現実的なことは、恐らく完成度の高い米国製の白杖を輸入することであったと思われる。

この研修会が開始された2年後の1972年には、米国では、国立の機関である全米科学アカデミーにより今日でも十分に通用するロングケインの仕様が定められ、軽さ、重量バランス、耐久性、弾力性、夜間の視認性等に優れる白杖が作られる環境が整えられていた。日本では今日でも、ロングケインについては米国製が大きなシェアを占めている。

(小林章(こばやしあきら) 国立障害者リハビリテーションセンター学院)