音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

  

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年2月号

文学やアートにおける日本の文化史

山本おさむの漫画と映画

野田晃生

はじめに

山本おさむは、1954年生まれの漫画家である。山本は、障害をテーマにした漫画作品を多く発表している。本稿では、山本による作品をその内容に加え、その時代背景、山本の考え、山本の作品が現代までつながる、どのような影響を与えたのかについて述べる。

『遥かなる甲子園』

『遥かなる甲子園』は、戸部良也(とべよしなり)によるノンフィクション作品を基にした山本の漫画作品である(双葉社、1988年)。

物語は、1980年代1)前半、沖縄県の福里ろう学校2)高等部硬式野球部をめぐる物語である。福里ろう学校は、甲子園を目指し高野連に加盟しようとする。しかし、「それぞれの都道府県の高等学校野球連盟に加入することのできる学校は学校教育法第4章3)に定めるものに限る」という野球憲章のため、高野連への加盟は許されなかった。そして、高野連加盟、甲子園を目指す戦いが始まる。

物語では、高野連加盟を目指す福里ろう学校の動きが認められ、高野連への加盟が認められる。その背景に、世論・社会の動きがあった。野球部は甲子園を目指し、予選に臨むことになる…これが大まかなあらすじである。

『遥かなる甲子園』が描かれた1980年代後半、漫画界においては障害者を描くことはタブーとされていた。「差別表現」(障害者差別に加え、人種差別等も含む)やそれに対する抗議が心配されたためであった。

『遥かなる甲子園』は、この「差別表現」というタブーに真っ向からぶつかった作品である。そして、何よりも山本は障害者について十分な取材・研究を行い、この作品を描いている。『遥かなる甲子園』は、漫画・アートの歴史において、「障害者を描いた作品」としての大きな意味を持っている。

『わが指のオーケストラ』

『わが指のオーケストラ』は、山本による漫画作品である(1991年~1992年、秋田書店)。『わが指のオーケストラ』は大正~昭和初期の時代(いわゆる戦前期)、大阪市立盲唖学校(後、大阪市立ろう学校)を舞台とする作品である。主人公は、同校の教師高橋潔(たかはしきよし)である。

戦前期においては、手話・口話論争があった。聴覚障害児に対しては口話法4)が推進され、手話を用いた教育は批判を受けていた。そのような状況の中、高橋は手話の重要性・有用性を主張する。手話と口話の併用、生徒の実態に応じた教育を主張する。

山本は、「手話・口話論争は単に教育方法の論争にとどまらず、実は両陣営の障害者観の戦いだった、と私は理解している。」と書いている。口話を主張する側は、口話は言語として優れており、手話は言語として劣っている、と主張していた。このことは、「口話を使う者=優れた者、手話を使う者=劣った者」という考え方につながる。この考えは、「障害者=劣った者」という差別にもつながる考え方である。『わが指のオーケストラ』は、戦前期のろうを中心とした障害者、障害者観や社会5)の歴史を描いた作品である。なお、日本において手話が法律上言語として認められるようになったのは、2011年改正障害者基本法である。

『どんぐりの家』

『どんぐりの家』は、山本によって描かれた、実話を基にした漫画作品である(1993年~1997年、小学館『ビッグコミック』で連載された)。この作品が扱うのは、ろうに加えて、知的障害等の複数の障害を抱える、ろう重複障害である。

『どんぐりの家』の物語の時代背景は、1980年代である。当時の時代背景を見ると、1979年の養護学校義務化によって、就学猶予・免除はなくなったが、卒業後の将来の見通し、行き場がないという問題が残った。『どんぐりの家』では、この問題の歴史や取り組みが描かれている。

1986年、埼玉県大宮市(現・さいたま市)にろう重複障害者の共同作業所「どんぐりの家」が開所、1996年には、埼玉県入間市毛呂山町(もろやままち)に入所型施設「ふれあいの里・どんぐり」が開所した。多くの人々が開所・運営に尽力している。

『どんぐりの家』は、「どんぐりの家」開所までの経緯、生活に加え、その時代のろう重複障害者を当事者やその家族、養護学校(現・特別支援学校)の教師たちといった周囲の人々の姿を描き語っている。

『どんぐりの家』は、1997年に映画化されている(実在のどんぐりの家に関係した実写も挿入される。聴覚障害者のための字幕も付いている)。

映画『どんぐりの家』のストーリーは漫画に沿ったものであり、「どんぐりの家」を作るための活動が描かれる。障害児の行動(問題行動も含む)が描かれ、パニックを起こして暴れるシーン、自傷行為や、排泄に失敗するシーンや家族の苦悩も描かれる。母親が「この子と一緒に死んでしまおう」と思い詰めるシーンもある。それとともに、子どもの成長を喜ぶシーンも描かれている。『どんぐりの家』に限らないが、山本の作品は、障害者を不必要に美化して描いたりはしない。いわゆる「美しい」シーンばかりではない。

映画『どんぐりの家』のDVDの冒頭では、「この映画は、日本の障害者をめぐる現実を知らせると共に、福祉の前進を図るために作られました。」と述べられている。加えて、「この映画は、全国で上映会が行われ、大きな反響を起こした。小学校や中学校でも上映会が行われ、子どもたちに驚きと感動を与え、障害者福祉について学ぶ機会を提供した。」ということが述べられている。映画『どんぐりの家』は第1回文化庁メディア芸術祭優秀賞を受賞した。漫画・映画『どんぐりの家』は、多くの人々に障害者について伝え、考えるきっかけを与え、福祉を進めるきっかけとなった作品である。

『どんぐりの家 それから』は、2007年に山本によって発表された漫画作品である。この作品では「介護保険制度と聴覚障害者」「障害者自立支援法(2005年成立・2006年施行)の非情な側面」というテーマでこの作品を描いている。山本は、「障害者自立支援法に苦しめられる多くの障害者がいることを訴えたかった」ということをあとがきで書いている。障害者自立支援法は2012年、廃止が決定された。2013年4月から「障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律(障害者総合支援法)」が施行される。

『コキーユ』『聖』

山本は、ほかにも片耳が聞こえなかったことが物語上大きな意味を持った『コキーユ』(1995年、小学館)、幼い時から難病を抱えながら将棋に打ち込み、29歳で夭折(ようせつ)した、故・村山聖(むらやまさとし)九段(1969~1998)の生涯を描いた作品『聖』(2000年、小学館)といった、障害者・難病をテーマにした作品を発表している。

障害者を描く漫画の現在

かつて、障害者を描くことはタブーであった。山本の作品は、その風潮にメスを入れるものであった。山本による作品以後、障害をテーマにした漫画が数多く発表されている。軽部潤子(かるべじゅんこ)『君の手がささやいている』(1992年、講談社、聴覚障害)、波間信子(はまのぶこ)『ハッピー!』(1995年、講談社、視覚障害)、井上雄彦(いのうえたけひこ)『リアル』(1999年、集英社、肢体不自由)、愛本みずほ『だいすき ゆずの子育て日記』(2005年、講談社、知的障害)等がその例である。いずれも障害について十分な取材・研究を行なった作品であり、その描写も正確である。映像化された作品も多い。

障害者を描いた現在の漫画・映画作品は、その描写の正確性を持っている。障害の内容を説明することに加えて、障害者の生活、心の動き、それを取り巻く社会を描いている。このような現在の漫画・映画、そして社会を取り巻く状況に、山本の作品は大きく貢献しているということができるだろう。

(のだあきお 筑波大学大学院人間総合科学研究科)


【脚注】

1)1964年頃、沖縄で風疹が流行し、母親が罹患した結果、聴覚障害児が多く生まれた。その子どもたちがろう学校高等部に進んだ時期。

2)実在の学校は、北城ろう学校。

3)福里ろう学校は、特殊教育として学校教育法第6章に属する学校であり、高野連には加盟できなかった。

4)読唇と発語により、聴覚障害者・ろう児に日本語を習得させる方法・技術。

5)作中においては、米騒動(1918年)、関東大震災(1923年)、等の事件も描かれている。