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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年2月号

ワールドナウ

現地の状況に合わせた国際協力事業
―ささやかでも地道に継続

田中徹二

国際協力事業に関心

私が国際協力に関心をもつようになったのは、東京都心身障害者福祉センターで同僚だった故丸山一郎さんによるところが大きい。1981年の国際障害者年以後、当時の総理府や厚生省で活躍した彼は、国際的な行事や企画によく声をかけてくれた。また、1980年に全国の障害者関連67団体で発足した国際障害者年日本推進協議会(現、日本障害者協議会)の結成の裏方の立役者でもあった彼は、結成当初から私を引っ張り出してくれた。それにより、ごく自然に、1983年からの国連・障害者の十年、続いてESCAPによる1993年からのアジア太平洋障害者の十年などの行事に関わるようになっていった。

そんな折、東京ヘレン・ケラー協会(以下、THKA)点字出版局から、国際協力事業を考えているので、調査に行ってほしいと依頼された。1985年のことである。

ネパールの国際協力事業

当時、THKA職員だった野崎泰志さん(現、日本福祉大学教授)と、初めてネパールを訪れた。ネパールが選ばれた理由は、今でもそうだが、最貧国の一つだったからである。

当時のネパールには盲学校がなく、盲人の大学卒業生は、インドの大学を出たという1人にしか会えなかった。ネパール盲人福祉協会(NAWB)も私たちの訪問に合わせて結成されるという状況で、これといった訪問先もなく、日本の実態とはあまりにもかけ離れていた。

そんななか、唯一の見学先として、カトマンズとポカラの盲児を入学させている一般校が紹介された。盲児の特別なニーズを担うリソースルームがあり、一般の科目は、晴眼の生徒と一緒に学ぶ。一応、統合教育の体裁は整えていたが、驚いたのは、点字教科書が数人の生徒に1冊しかないことだった。リソースルームの先生が点訳した1冊ということだが、回し読みをする生徒に、THKAが援助するのはこれだと直感した。

先進国の例から見て、盲人の社会的な地位を高めるのは、社会的に活躍する盲人を産みだすしかない。それには教育は不可決だと、私は考えていた。幸い、THKAには点字教科書を製版印刷するノウハウがあり、提供できる機材がある。

私の提案はそのまま実行に移された。ネパールには国定教科書が1種類しかなかったのも幸いして、NAWBが印刷する教科書は、全国の盲児に提供されるようになった。一般児と机を並べる盲児が、同じ内容の教科書を自分のものとして1冊ずつ持てるようになったのである。

この成果は予測をはるかに超えた。援助は今日(こんにち)まで続き、昨年までにSLC(高等学校終了国家試験)に合格した者は920人を超えた。そのほとんどが大学に進んでいる。一般校の教師として雇用されている盲人は約400人、上級国家公務員の試験にも2人合格した。わが国をはじめ、先進国の盲人に関する統計と比べても遜色がない。

コンピュータ点字製作技術指導講習会

1991年、日本点字図書館(以下、日点)に移った私は、ネパールの成果から日点独自の国際協力事業がしたいと考えていた。そして、1993年にアジア太平洋障害者の十年が始まったのを機に、アジア盲人図書館協力事業を立ちあげた。当時の安田火災記念財団、国際ボランティア貯金の助成を得て、マレーシアに周辺の国々の盲学校や盲人協会から教職員を呼び、パソコンで点訳した資料を点字プリンタで打ち出す技術を指導した。ネパールでの協力事業から数年しか経ていないのに、この間のパーソナルコンピュータの進歩は、この方式を可能にした。訓練で使ったパソコン、点訳ソフト、点字プリンタなどを持ち帰ってもらい、翌日から点字教科書などを作ってもらうという方式だ。

最初の頃こそ、講習会の計画、コーディネート、講師の派遣などを日点で面倒をみなければならなかったが、3年もしないうちに、マレーシアの盲人協会にすべてを任せられるようになった。日本に招聘し、講習会を開催するのに比べて、3分の1以下の費用で賄えたと思う。

2002年、国際ボランティア貯金の助成が打ち切られたので、2003年からはアジア各国の1拠点を選び、そこの盲学校や盲人協会で、前記の機材を持ち込み、指導するという第3国研修に方針変更した(霞会館助成)。マレーシア点字出版所元所長らの献身的な指導で、来てほしいという要望が多く、現在も続いている(2012年はフィジー盲学校)。

ICT訓練講習会

前記の講習会を通して、私はアジアのパソコン事情が激変するさまを実感した。現地での調達が可能になり、しかも毎年のように質が向上する。企業ではコンピュータの導入が普通になっていった。しかし、エリートであっても、盲人が家庭でパソコンを利用するような状況になっていないことはわかっていた。

そこへ、日点の近くにお住まいの池田輝子さんから賃貸マンション寄贈の申し出があった。賃貸料を事業に使ってほしいというものである。池田さんの了解を得て、早速、池田輝子ICT訓練講習会を企画した。2004年のことである。目標は、盲青年にパソコン操作を習熟させ、社会人として自活してもらうことである。年齢は35歳以下、英語で講義が受けられること、意欲があるなどを選ぶ基準にした。

1回目は、日点を会場に東京で開催した。ジョーズ(アメリカの盲人用パソコン画面読み上げソフト)をインストールしたパソコンを与え、訓練に入ったが、画面読み上げソフトの操作を熟知していて、英語の堪能な講師の時間がなかなか取れない。ほかの講義も然り。講習生が池田さんに会って理解を深めるメリットはあるものの、東京で講習会を開く限界を最初から感じた。

コンピュータ・プログラミングの修士号をロンドン大学で取得した盲目のイギリス人を知っていたので、2回目からは彼に依頼し、マレーシアでコンピュータの基礎訓練を開くことにした。その後、講習生を東京に呼んで池田さんに会ってもらった。

この講習会の評判はたちまちアジア中に広がり、3回目あたりから希望者が殺到するようになった。東京に呼ぶ旅費をかけるなら、講習生を増やした方がいいと思えたし、幸い、ペナンに宿泊と訓練が一緒にできる施設が見つかったことなどから、6回目以降の講習会は、講習生を倍に増やし、マレーシアだけでの訓練とした。しかも、訓練希望者のニーズはこのあたりから一変し、キーボード操作などの基礎訓練は必要がなくなり、中級、上級の訓練へと移っていった。アジアの途上国でも、盲人のICT環境は一般化したのである。

修了生の活躍

昨年11月、バンコクで、4年に1回の世界盲人連合(WBU)総会が開かれた。そこで、私はたくさんの修了生に会うことができた。視覚障害リハビリテーションセンター副所長、盲人協会副会長、コンピュータ企業で働いている者、みんな若いのに国を代表して参加していた。前述したネパールの上級国家公務員の一人も修了生だ。ジョーズの入ったパソコンを持ち帰って、さまざまな情報にアクセスできたことが、彼らの生活にどれだけ大きな影響を与えたかについて実感した。“Teruko Ikeda ICT”のホームページを作ってくれたのも彼らであり、そのメーリングリストは毎日、何件も飛び交っている。

日点自体がいただく助成金や寄付は国際協力に回すゆとりはない。特別なご理解の下にいただく助成金だけのささやかな事業だが、地道に続けてきたことで、ある程度の信頼を得られているように思う。

(たなかてつじ 日本点字図書館理事長)