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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年4月号

時代を読む42

国際リハビリテーション交流セミナー(1981年)

1981(昭和56)年10月15~17日、東京池袋サンシャインシティーで、国際リハビリテーション交流セミナー (REHAB Seminar Tokyo)が開催された。これは国際障害者年の記念事業として、日本障害者リハビリテーション(以下リハ)協会主催、厚生省・東京都などの後援で行われたもので、海外19か国から56人、国内からは600人を超える参加者を得て盛会であった。

これはリハ協主催の国際会議としては、1965年4月の第3回汎太平洋リハ会議、1971年11月の汎太平洋職業リハセミナーに次ぐ3回目のもので、1988年9月の第16回リハ世界会議の先駆でもあった。

実はこれは、1977(昭和52)年に小川孟(はじめ)氏の呼びかけで有志が集まって「手弁当」で開始した「リハ交流セミナー」(現「総合リハ研究大会」)の蓄積の上に立っていた。

国際リハ交流セミナーは、このリハ交流セミナーの運営委員が中心になって企画し、最終的には総会としての国際リハ交流セミナーの下に部会を3つ置き、第1部会はリハ交流セミナー、第2部会はリハ工学セミナー、第3部会はアジア義肢装具セミナーとするかたちになった。大会委員長は太宰博邦(リハ協会長)、運営委員長は小池文英(同常務理事)、部会の委員長は第1が上田、第2が加藤一郎(早稲田大学教授)、第3が土屋弘吉(前横浜市大教授)であった。

第1日午前の開会式は、皇太子ご夫妻(現天皇、皇后)のご臨席のもと、太宰委員長の開会のことばに始まり、村山厚生大臣、鈴木東京都知事の祝辞、皇太子のお言葉、視覚障害のバイオリニスト和波孝禧氏の演奏などがあった。

続く総会1では、砂原茂一(国療東京病院長)、エド・ロバーツ(アメリカ、自立生活運動の創始者)、ケオカーン(タイ、医師)の講演があった。第2日午前の総会2は、「リハ行政における専門家の役割」と題するシンポジウムであった。最終日午後の総会3は、各部会の報告の後、林宗義(カナダ、精神科医)、スタロス(米、工学)、板山賢治(厚生省更生課長)の講演があり、続いて閉会式となった。

部会については略すが、3つとも外国人の講演も多く内容豊富であり、特に第1部会は第2日午後にはそれ自体が5つの分科会に分かれるなど、全体として「総合リハ」を目指す姿勢が明確であった。

(上田敏(うえださとし) 日本障害者リハビリテーション協会顧問)