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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年5月号

ライフステージごとの課題 青年期

家族と共に地域で暮らすことが生きがい

福田功

現在、娘は家族と共に在宅で暮らす人工呼吸器使用の超重症者で、4月9日で24歳になりました。養護学校在籍当時、送迎サービスがなく、妻の送迎で12年間学校に通いましたが、弟たちを妊娠出産時は娘の送迎を祖父にお願いせざるを得ないこともありました。

卒業して6年が過ぎましたが、今でも先生方とは交流があり、気にかけていただいています。送迎サービスがあったら交流はなかったかもしれません。今思えば、養護学校時代が娘にとって最高の時だったのかもしれません。担任とマンツーマンで過保護すぎるほど対応していただき感謝しています。

卒業後は、通園施設まで遠いため、数年前にできた近くの巡回方式通園事業[通称サテライト]を週2回、生活介護事業所で生活介護サービスを週2回、利用しています。リハビリは市内の医療センターで、理学・言語療法を月2回程度利用していました(守る会の長年の行政への働きかけの結果)。

2008(平成20)年、卒業した年の9月に生活介護事業所で食事中、気道閉塞で呼吸停止になり救急搬送で入院、退院後、10月にも同様な状況となり、再度搬送入院。入院中にいろいろ検査をしその結果、医師から喉頭気管分離手術と胃ろう造設、胃食道からの逆流もあるとのことで噴門形成術を進言されました。

養護学校時代、給食はペースト食で完食、時々むせたりしたものの吸引で対処できていたため、親としては呼吸停止になったことだけで手術することに納得できませんでした。手術により声を失うこと、今後、呼吸停止を繰り返していく危険性の説明を受けたのですが、特に妻は受容できずかなりの葛藤がありました。

同年11月に手術。手術は麻酔時間も含め7時間以上もかかりました。1週間後に胃ろうと逆流防止の手術を約6時間近くかけて行いました。注射と座薬を入れてもすぐに痛みで苦しむばかりで、心拍は常に170から190で全身汗だくでした。目が覚めた後も激痛が続き、体全体の筋緊張が強くなり、もともと低緊張だったのが真逆になってしまいました。並大抵の痛みではなかったのでしょう。術後は、熱や痛みが続き体調が安定せず、トラブルも発生しました。妻は常に付き添うようになり、緊張するのはどんな時なのか、娘の様子を見て分かるようになりました。医師の診察、カニューレ交換、リハビリの時は緊張。しかし、入浴、体拭き、イケメン医師に話しかけられると穏やかでした。重症児に対する接し方の違いで力が入って緊張しているように感じました。

2009年7月、出雲市ではコミュニケーション支援事業が始まり、重症児者に対する入院中のヘルパー付き添いが可能となりましたが、同じ自治体でも病院間で利用できる、できないの格差が生じました(現在は是正されている)。この格差により、残念ながら娘は利用できませんでした。

当時、担当の医師に退院して在宅で生活したいという気持ちを妻が打ち明けても、「リスクが高い」「前例がない」「難しい」という返事ばかりだったようです。医療職と親の考え方の違いに悩む日々が続いていきました。

2010年7月、これまでの担当医が他の病院へ異動しました。引き継いだドクターに娘のストレスと妻の気持ちを打ち明けたところ理解してもらい「少しずつ家で外泊してみましょう」と許可が下り、ソーシャルワーカー、訪問看護師、ヘルパー、ホームドクターと話し合いを重ねながら、2日、3日、1週間と、段階を踏みながら試験外泊を重ね、2011年1月、2年ぶりにわが家に帰ることができました。

徐々に娘に穏やかさが戻ってきて、在宅での入浴サービスでは久々のお風呂に気持ちよかったのか「にこ~っ」と笑った顔になり「家に帰ってきてよかった」と思いました。ホームドクター往診はリラックスしてカニューレ交換(病院での交換時には力が入っていたのに、この違いは何やろ!)、ヘルパーさんとの体拭き手足浴、特に、訪問リハのイケメン男性の時には力が抜けて至福の時を過ごしています。

外出もお気に入りの運転手とヘルパーさんと買い物やいろいろな所に出かけます。ワイン製造所では、甘いワインをゴクゴク。ホームドクターと一緒にショッピングセンターや花の公園、プルーン狩りに出かけても表情も穏やかです。2012年12月に、家族で神戸ルミナリエに行き、その時の弟たちのサポートは親としても大変ありがたかったです(外出の時は常に娘に聞いて、「にこっ」とする場合は連れて行くようにしています)。

2013年1月には、いとこの結婚式に飛行機で東京へ行きました。航空会社とのやりとり(呼吸器、酸素ボンベ、バッテリーの書類や写真)は大変でしたが、約1時間20分座席に座り落ち着いていて、1泊2日の東京旅行も無事帰ることができました。

以前から、医師より勧められていた「腕頭動脈瘻のリスク回避の腕頭動脈結紮離断術」も3月に無事終わり、前述のような痛みも無く親としてほっとしています。手術前のようには戻れませんが、さまざまなことを体験させ、たくさんの方に出会い、励ましてもらい、娘の意思表示を受け止め、娘らしい生活にしていきたいと思います。

娘が退院後、穏やかに在宅生活を送っていることを病院側も理解してくれたようで、呼吸器使用の小児の子どもたちも在宅で過ごす方が増えたそうです。「リスクがあってもやってみないと分からないこともある」ということを理解してもらえてうれしいです。妻にとっても娘も家族も大切な仲間です。地域で一緒に生活することが私どもの生きがいです。

(ふくだいさお 島根県重症心身障害児(者)を守る会会長)