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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年5月号

1000字提言

友達からはじめようよ

今村彩子

うれしい出会いとすっきりしない出来事があった。まず、すっきりしない出来事から。

あるワークショップで、多様性を知ろうと「聴覚障害者」「視覚障害者」「肢体障害者」「高齢者」「妊婦」「外国人」「子ども」の疑似体験があった。私は聴覚障害当事者として疑似体験が終わった後、参加者にアドバイスしてほしいと言われ、参加した。

正直に言うと、最初からあまり乗り気ではなかった。やはり参加しない方がよかったなあと思った。想像どおり、聞こえない人の状況を体験した人からは「聞こえない人の大変さが分かった」「何を言っているのか分からず、疎外感を感じた」と。感想はまちまちだったが、皆口をそろえて言った言葉がある。「いい経験になった」「これからは周りに聞こえない人がいたら、助けたい」

そう言いながら「聞こえないって大変だなあ」と私を見る。その目が嫌だった。その表情を見るのが辛かった。みんなの頭の中に「聞こえない=大変・かわいそう」「聞こえない人=助ける対象」という公式ができてしまっている。「大変なこともあるけれど、楽しいこともあるんだよ。豊かな世界だよ」私はそう言いたかった。しかし、疑似体験をしたばかりのみんなには言っても伝わらないだろう。実際に楽しい体験をしないと分からないことだから。

うれしい出会いとは、私が制作した映画の上映に来てくれた青年である。彼は手話はできない。上映後の交流会にも参加した。交流会は、ろう者がほとんどで、手話を知らない聴者は彼ひとり。新しい世界に飛び込んだ好奇心と緊張感が混じった表情で、空間を舞う手話の花に目を輝かせていた。手話が分かる友人が時々通訳をしたけれど、楽しめたかなあとちょっと心配だった。でも、それは杞憂だった。私が思っていた以上に彼は楽しんでいた。彼のブログの一部を紹介したい。

「たぶん、通訳してくれたところ以外は半分ぐらいしか話がわからなかったと思う。でも、それでも、「伝えたいって気持ち」があったから、ノート持って行って筆談したりとか、わからないところは「もう1回言ってください」とか「わからない」とかって言った。もっともっとみんなの話が聞けたらなーって。だから、映画館の帰りに地元の図書館によって手話の本を一冊借りた」

みんなと話してみたい!という純粋な気持ち。みんなの言葉(手話)が分かったらもっと楽しいだろうなと手話の本を借りるという行動。とてもうれしかった。このことなんだよって、ワークショップに参加した人たちに言いたかった。

現在、制作している映画でも伝えたい。友達からはじめようって。

(いまむらあやこ 映像作家)