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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年6月号

障害者総合支援法に期待すること
~仲介から意思疎通へ~

君島淳二

1 「コミュニケーション支援」と「意思疎通支援」

障害者総合支援法が施行され、法文に「意思疎通支援」ということばが明記された。

自立支援法では地域生活支援事業に「コミュニケーション支援」事業があり、手話通訳や要約筆記による支援を総称していた。これらを行う者は、当該障害者等とその他の者との間の意思疎通を仲介する者と定義されていたのであるが、今回の法改正では「仲介」という手段的行為から、意思疎通という目的行為へと、その支援の範囲を広げたと捉えることができる。

ICF(国際生活機能分類)では、コミュニケーションは中分類の「活動」に位置付けられている。さらに、コミュニケーションの理解、コミュニケーションの表出、会議ならびにコミュニケーション用具および技法の利用の3点が小分類となっている。

よく目にするICFのモデル図では、「活動」はまさに生活機能の中心に位置付けられており、生活行為全般を意味している。実行状況(している活動)なのか、能力(できる活動)なのかの見極めが専門職には求められるところだ。活動が不活発となれば健康な状態を維持していくことが難しくなる。

ケースワークや相談の場面においても、援助する側と利用者の人間関係をつくる際にコミュニケーション技術(スキル)は必要となる。相談相手によっては、非言語コミュニケーションも重要なスキルとなるし、さまざまな支援機器なども駆使して、その人その人に応じたよりよいコミュニケーション環境を設定することは、専門職だけが行うことではなく、もはや合理的配慮として当然のことである。

しかしながら、コミュニケーションについての議論は往々にしてスキルのアップや新しい機器(ツール)の開発など、手段的な議論が主となってしまい、個々人の障害特性に根ざした問題なのか、その人が置かれている環境の問題なのかが曖昧(あいまい)になってしまう場合がある。通訳、要約、代読、代筆、サポートなど、仲介する人の技術(スキル)やiPadなどのコミュニケーション支援機器があればよいという短絡的な議論となることは避けなければならない。

なぜならば、地域において共生した生活を営む、つまり、ICFで言えば、もう一つの中分類である「参加」の概念との接点がなければ正常な状態とは言えないと考えるからである。もちろん、それらコミュニケーションスキルやツールの分野においても解決すべき課題はまだまだ山積みであることは、十分認識した上でのことではあるが。

非常に極端に単純に言えば、情報取得における平等性を確保するためには、相手がほしい、ほしくないにかかわらず、すべての情報をあまねく伝達することが最終目標なのである。コミュニケーションスキルやツールは、そのための手段であって目的ではない。選択権を受け手側に与えることこそ平等と言える。

テレビのニュースや新聞も限られた時間や紙面という制限の中、さらには、視聴者や購読者のニーズを前提にして作成されているのだから、すでに選別された情報となってしまっている。「仲介」という行為も、介在する人の能力や機器の性能によりなんらかのフィルターがかかってしまったとしたら、人の知る権利は守られないことになってしまう。

権利性を確保すること、このことは、障害者に固有のことを言っているのではなく、情報バリアフリー社会を情報ユニバーサル社会に変化させていく原動力となる非常に重い課題である。共生社会とは、その上に構築されることを忘れてはならない。

2 共生して生きるための意思疎通

安否確認、要援護者の把握、情報伝達、避難誘導、避難所生活、生活支援等々、東日本大震災を経て、そのどれもが不十分だったことを残された我々は認めざるを得ない。

小誌は2012年3月号で「東日本大震災から1年、障害者は今」と題した特集を組み、「証言3.11 そのとき私は」という体験記事5編を掲載した。そのどれもが死と直面したり、間一髪だったりと、生々しく、過酷であり、息をのむ記事ばかりである。読者の反響が大きかったためその後も、「証言3.11 その時から私は」の連載となって現在も続いている。地域の連携、隣人とのコミュニケーション、日頃からの行政の立ち位置、地域づくりへの参画など、復興や防災や地域づくりに役に立つヒントが綴られているので、将来へ向けての提言集ともなるだろう。

ここでお亡くなりになられた方々のご冥福を心からお祈りし、連載の中から、特に情報やコミュニケーションについての記載を抜粋してみたい。

○今回の震災を通して、情報格差の課題が多くあることが明らかになった。彼女のケースのみならず、聴覚障害者それぞれが感じた情報不足の場面は、避難所であり、買い物の場面であり、数多い。(2012.3)

○避難所での生活は思ったほど気楽ではありませんでした。視覚障害者は私たち夫婦だけでした。通路やトイレにも普段は置いていないものが地震の異常時ということもあり置いてあったので、自由に歩くことはできませんでした。盲ろう者の私には、コミュニケーションに対する配慮はほとんどなく寂しい思いをしました。(中略)赤の他人が私に直接話しかけてくれることは、福祉センターの職員も含めほとんどありませんでした。(2012.6)

○地元石巻には、特に身体障がいをもった当事者が定期的に通い、語り合えるような場所がほとんどありません。また、知的障がいや精神の障がいをもった当事者も、施設や家の中に閉じこもりがちな方がいまだに多くいます。(中略)同じような考えの人に一人でも多く出会い、仲間を増やしていくことが大切です。(2012.7)

○ちょうど震災前に満タンにした灯油タンクがあったので、近くの農家と、米と灯油を物々交換したりして物資を調達した。お互い助け合いながら、日頃にも増して近所とのコミュニケーションが活発になったのもこの時期からである。(2012.8)

○このような生活が続く中、家の中がなんとなくギクシャクしてきた。ちょっとした言葉の食い違いがストレスの蓄積した心を逆なでした。(中略)町からは被災に関する多くのお知らせが出されたが、点字使用の私たちには情報は遅れがちだった。ご近所さんが声をかけてくれ、一緒に手続き等に行ってもらったこともあった。(2012.10)

○避難所の情報については、テレビやラジオで『町の指定避難所は××公民館です』と放送してくれればほとんどの避難者に伝わるはずなのだが、安全神話を過信したためだろうか、こんな初歩的マニュアルさえも作られていなかったという、行政の危機管理意識の低さが露呈された。(2012.11)

○緊急時には、介護や福祉従事者ではなく、近所の方々など一般の方に力を貸していただくことも十分に考えられます。そのようなことからも、私はなるべく多くの一般市民の方に、私たち患者がALSと共に生きる姿を知っていただきたいと思っています。(2013.3)

情報保障がいかに難しいことか、地域の連携がなぜ必要なのか、日常がいかに大切なのか、多くの課題を突きつけられて、解決への糸口さえ見えてこないのが正直なところである。

3 意思疎通支援の可能性

平成25年3月27日付け(障企自発0327第1号)で、自立支援振興室長通知「地域生活支援事業における意思疎通支援を行う者の派遣等について」を発出した。各自治体では、地域の実情を勘案し個別の要綱が作成されることを期待している。

この通知の中で、思い切って「意思疎通支援者」という呼称を使用した。決して新たな資格者を想定しているのではなく、スキルがなくても、市民の誰でもがその立場になり得ると考えているが、スキルがあればあるほど、支援を求めている人にとっては、より大きな精神的支えになるであろうことは言うまでもない。必要な権利を主張し、義務を果たして、社会の一員として生きていくためには意思疎通が不可欠であり、単に物事を知るだけのことから、分かる、理解できた、というレベルまでを目標としなければ、真の意味での情報保障やコミュニケーション保障がなされたとは言えない。そしてそのためには、地域で生きる誰でもが、誰かのための意思疎通支援者となり得るのだ、ということを共有したいと思う。

(きみじまじゅんじ 厚生労働省障害保健福祉部企画課自立支援振興室室長)