音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

  

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年6月号

列島縦断ネットワーキング【佐賀】

パラリンピック出場の夢をかなえてやりたい。
一人の青年の夢を実現しようと15人のプロが立ち上がった。

石橋弘人

17歳で交通事故により頸髄損傷となった川野将太(かわのしょうた)は、福岡県飯塚市にある総合せき損センターで接した車いすテニスに魅せられ、19歳の時からリハビリも兼ねて本格的にトレーニングを始めた。やってみるとバイクのように車いすを自分で操ることに快感を覚え、試合に出るようになると、少しずつだが勝てるようになっていった。

そして2008年、北京の後に本格的に「パラリンピックを目指す」と決意したが、トレーニング以外で何をどうすれば強くなれるのかが分からない。試行錯誤の日々が続いたが、2010年にコーチの吉永から相談を受けた西九州大学の山田力也が立ち上がり、「やるなら運動面だけでなく大学として医学面、精神面、生活面など多方面からサポートしよう!」と学内外に働きかけを行い、学長の理解も得ることができ、NPSP(西九州大学パラリンピックサポートプロジェクト)が設立した。

また、車いすテニス経験者で初代チャンピオンである松尾とバルセロナパラリンピックに出場した岩崎らにも声がかかり、総勢15人のスペシャリストが川野選手の思いを実現するために立ち上がった。その決起会は、くしくも東日本大震災の日であった。

その後、約1年半の短い期間ではあったが、次の集中支援を行なった。

1.メディカルチェック・健康管理部門

担当:庄野菜穂子特命教授/ライフスタイル医科学研究所所長

健康スポーツ医として3か月ごとにメディカルチェックを実施し、その結果をフィードバックしながら、サポート前から選手が抱えていた健康面についての不安を一つ一つ解消し、よりよいパフォーマンスを発揮するための生活習慣についてアドバイスを行なった。途中、一過性に血液検査と血圧の異常が認められたものの、行動の修正によって改善され、すべて正常範囲に戻すことができた。形態測定では、筋量が増加した結果、パラリンピック直前には、これまでで最も多い除脂肪体重(44.6キロから48.8キロ)となり、血液や血圧を含めた全体のコンディションは良好の状態となった。

2.栄養管理部門

担当:堀田徳子准教授、岩崎央弥/大塚製薬株式会社

3か月ごとに写真記録法による食事調査と結果返却、栄養教育を行なった。朝食を抜くなどの状態から1日3食が定着し、たんぱく質などの摂取量の確保、野菜を積極的にとるなどの行動変容が確認でき、除脂肪体重増加や選手の意識の向上につながった。

3.運動能力評価部門

担当:近藤芳昭准教授、音成道彦非常勤講師/ライフスタイル医科学研究所副所長、松尾清美佐賀大学医学部准教授、福嶋利浩佐賀大学医学部助教

上肢エルゴメーターを用いた回転数漸増式運動負荷試験による有酸素性作業能力測定を行い、持久的トレーニングのための運動指導を行なった。

4.運動機能評価部門

担当:山田道廣教授、田中真一講師、満丸望助教

筋柔軟性の向上、筋力増強のため、エルゴメーターでの筋電図データ取りを行い、対象者との比較、検討し、さらなる競技力向上へつながった。

5.心理学的・社会学的調査部門

担当:花田利郎准教授、山田力也准教授、西村麻希相談員

試合前の心理状態診断調査や試合中の心理状態診断調査を実施し、評価は徐々に上昇。

6.トレーニング管理部門

担当:岩崎満男/オットーボック・ジャパン株式会社、吉永寛和/ProShop Earth Cross 代表/ありあけ新世高校テニス部監督・日本障害者協会上級公認指導員

週1回2時間の頻度でチェアスキルトレーニングを実施し、スピードテスト(4.7秒が4.4秒)や持久力(1キロメートルを11分が10分)など、5項目において大きく改善した。

以上のプロフェッショナルによるサポートだけでなく、何よりも本人の努力の結果、大会成績も上昇。クワッドクラスにおいて世界ランク13位、また国内1位になり、見事2012年7月、ロンドンパラリンピックへの切符を手にすることになった。結果は、シングルでは優勝候補とあたり初戦敗退したが、ダブルスでは4位と大健闘した。ペアを組んだ諸石も握力が弱く、共に右手にテーピングでラケットを固定して奮戦。対戦したイスラエル選手に振り回されたものの、全力を尽くした。川野選手は「この4年いろいろあり、試合後は感極まった」と涙をためた。

あと一歩メダルに届かなかったが、パラリンピック出場はその後の彼の人生を好転させることになった。4月からは障害者スポーツと雇用をサポートする「シーズアスリート」※1の一員となり、初めて社会人となることができ、かつ、もう一度パラリンピックに挑戦できる環境を手に入れることができたのだ。

NPSPは川野選手をパラリンピックに出場させるという目的のためにスタートしたが、最終的には社会参加できる人材育成も一つの目標としており、彼が社会人としての一歩を踏み出すことができたことは非常に喜ばしいことである。

今年の取り組み

今年度より名称を「障がい者スポーツサポートプロジェクト九州」とし、川野選手だけでなく、小学4年生から18歳までの4人の子どもたちもサポートすることになった。いつかは彼のように世界で活躍できる選手となってほしいが、まずは、車いすテニスを主とした障がい者スポーツを通じ、人生の中で一つでも多くの達成感や人生の目的を見つけるきっかけになればと願う。

一方、脊髄損傷者は健常者より代謝異常や高血圧症等の有所見率が高いとの意見もあり、競技引退後は、より注意深く、生活習慣病のチェックや健康管理が必要であると考えられるため、プロジェクトメンバーでもある松尾と岩崎の健康チェックも行うこととした。

今後の課題

パラリンピックへの切符を得るには、世界中で開催される大会で優れた成績を残さなくてはならないし、そのためにも彼に合った車いすの入手が必要になる。川野選手の車いすについては、プロジェクトメンバーの助言と西九州大学の研究助成金で購入できたが、遠征費用は年間百万円を超え、彼にとっても大きな負担となっていたし、これがリオを目指す障害になっていたことも事実である。幸いにもシーズアスリートに入ることでこの問題は解決したが、国庫助成による助成金額が増加し、スポーツ基本法が制定されたが選手の負担はまだ続いているようだ。

本プロジェクトも大学からの資金援助に加え弊社も参加することで、4人の子どもたちを新たにサポートすることになったが、子どもたちが相手でもあり5年、10年といった長期間の継続したサポートが何よりも必要になる。

子どもたちが大人へと成長する中で、スポーツを通じて体力や精神力、ルールやマナー、自立心、社会性などを獲得し、その後、社会に出て納税者となって、受けた支援を超える社会還元を果たしてくれることを理解してくれる企業の協力をお待ちしている。

年間5,000人が障害者となる日本の現状において、「なったら終わり」ではなく、

「障害者になってもこの国には夢がある」

そういう状況を一日も早く実現したい。メンバーの願いである。

(いしばしひろと NPSP広報担当、株式会社プラッツ広報室長)


※1 シーズアスリート http://athlete.ahc-net.co.jp/

○NPSPに関するお問い合わせ先
株式会社プラッツ広報室(石橋)
電話 092―584―3433
Facebook https://www.facebook.com/npsp.japan