音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年8月号

交通弱者にとって住みよいまちづくりを目指して

倉橋一将

私は2歳の時、左黄班萎縮・右鎌状網膜剥離と診断された。左目は0.08、右目は失明しており、矯正が効かないため裸眼で生活をしている。

片目の裸眼での生活は不便なところがあるが、障害を理由に何かをあきらめることが大嫌いであったため、小学校ではバスケットボール部に、中学では剣道部に、高校では器械体操部に所属し、毎日汗を流していた。

中学3年の時、高校進学にあたって真剣に将来のことを考え、自分は障害者や高齢者の方が安心して暮らせるまちづくりをしたいと思った。視覚に障害のある自分にとっては、まちを歩いていて不便だと感じることが多々あり、常にまちの不便さを意識していた。そうやってまちを歩いていると、段差に苦しむ車いすの方、杖をついて階段を昇る高齢者の方、駅構内で迷っている視覚障害者の方、いわゆる「交通弱者」の方々が、まちの中で困っている姿をよく目にしていた。そこで私は、交通弱者にとって住みやすいまちづくりをしたいと思い、進路について考えていった。

そこで私は、豊田工業高等専門学校(以下、豊田高専)という学校に注目した。高専とは国立の5年制教育機関であり、高校生の時から大学レベルの専門的なことを学ぶことができる。普通高校に進み、大学でそういったことを学ぶのもいいが、私は少しでも早くまちづくりについて学びたいと思い、豊田高専の環境都市工学科へ進学した。ここでは都市計画や交通計画について学ぶことができる。この学校で勉強し、自分の夢を叶えたい、そう思った。

豊田高専入学後は、まちづくりに関することを勉強し、充実した日々を送っていた。また学校は寮生活のため、親元を離れて自分で生活をするという力も身に付いていった。しかし、大人になるにつれて自分の障害のことを深く理解していくようになり、自分は周りとは違うということに気づいていき、どこか消極的な姿勢を取るようになっていった。そんなある日、学校の掲示板に張り出されていた海外留学の広告に目が留(と)まり、「これだ!」と思った。高校進学後、自分の障害を意識しすぎるがあまり、常に消極的な態度を示していた自分にとって、1年間日本語の通じない国でやり遂げることができれば、自分にとって大きな自信となり、自分を変えるチャンスだと感じた。両親も賛成してくれ、翌年アメリカへ留学した。

アメリカの高校では、障害のため不便と感じることはあったが、先生や友達にはっきり主張することで、みんな快く助けてくれた。苦労もたくさんしたが、1年間とても楽しく生活することができ、それは自分にとって大きな自信となった。

帰国後は、高齢地域におけるバスの利用実態に関する研究に取り組んだ。市役所の方と協力し、その地域の高齢者の方のために研究を行うことができ、とても誇りに感じている。

卒業後は広島大学へ編入した。就職も考えたが、都市計画というものをもっと深く学び、社会のためにさらに高度な研究をしたいと思ったからだ。また広島大学の交通工学研究室では、交通弱者も含めた交通環境についての研究も行なっており、素晴らしい実績も上げているため、この研究室に入りたいと思った。

現在は交通工学研究室にて、高齢化したニュータウン(以下、NT)の再生プロジェクトに参加している。高度経済成長期に建設された国内NTは、同世代の人々が同時期に入居し、今一斉に高齢化が進んでいる。そのため、今では高齢者があふれ、その高齢者にとっては住みにくいまちとなっている。このような問題を解決するため、NTの再生が求められている。

私は現在、持続可能なNT形成のための存続条件に関する研究を行なっている。また今後は、高齢者向けに注目されているパーソナルモビリティという乗り物をNT内に導入し、高齢者の移動手段としての有効性についても検証していく予定である。

学部を卒業後は同大学の大学院へ進学し、修了後は就職する予定である。修了後もまちづくりに貢献したいと考えており、国土交通省や地方自治体、または運輸業や不動産業などに就きたいと考えている。

視覚障害を不便に感じ、何事にも消極的な姿勢を示した時期もあったが、今ではその障害が自分の原動力となり、一人の障害者として、人々のために住みよいまちづくりに貢献していきたいという大きな夢を抱くことができた。今後もこの思いを忘れずに、研究活動に励み、その後は社会人として、高齢社会に突入した日本の未来のまちづくりというものを確立していきたい。


プロフィール(くらはしかずまさ)

1990年6月18日、愛知県名古屋市で生まれた。2歳の時に視覚に障害があることが発覚し、左目の視力は0.08、右目は失明していた。眼鏡による矯正が効かないため、裸眼で生活している。愛知教育大学附属幼稚園に入園し、以後中学まで在籍。その後、豊田高専に入学し、土木工学を専攻。3年次の時には1年間アメリカへ留学。豊田高専を卒業後は広島大学工学部に編入し、都市計画の研究をしている。今後は大学院へ進学予定である。