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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年8月号

1000字提言

黄色のベストを着た保健師たち

鈴木るり子

いつものように、血圧計のマンシエットを巻き、上腕動脈に聴診器をあて、水銀柱の数値を見ながら、加圧していく。脈拍の結滞や不整がないか、耳を澄まして、減圧していき最初に聞こえる拍動音の最高血圧音と、消音する最低血圧音を聞き終えると加圧していた空気を一気に抜く。この瞬間は、私にとって最も緊張する一瞬である。特に、2006年8月の脳腫瘍の手術で左耳の聴力を失ってからは、右耳の聴力を最大限使い血圧音を捉える。今まで何千回もこの動作を繰り返してきた。しかし、2011年3月11日東日本大震災後の岩手県大槌町民の血圧値は、私の予想をはるかに超えた高い値だった。それも20代、30代、40代の今まで高血圧と無縁だった若者の血圧値が、全国平均値(国民健康栄養調査)をはるかに超えていた。このままでは脳卒中や心疾患が心配と、全住民の健康調査を計画した。

岩手県大槌町は、マグニチュード9.0の地震、その後の大津波と火災で壊滅し、1,400人の命を失った。そこに全国の保健師延べ555人が、保健師と印字した黄色のベストを着て、住宅地図と健康調査票を持って一戸、一戸生存者を確かめながら町内の全家屋3,728戸を家庭訪問し、5,082人の健康調査を実施した。調査は、2011年4月22日~5月8日に行われた。

大槌町の主要道路や鉄道は海岸沿いを走っていたため、津波ですべての交通は遮断された。全国の保健師たちは、秋田県の飛行場から新幹線で盛岡まで、そこから列車で釜石へ、その後はタクシーで大槌入りした。町には宿泊施設がなく、農家の作業小屋で自炊しながら調査は続けられた。この訪問調査で、大槌町民の13,935人(86.8%)の安否を把握・確認でき、そこで発見された「支援が必要な人」282人(うち2週間以内に支援が必要な53人〈1%〉、3か月以内に必要な229人〈4.5%〉)については、すぐに町の保健師につなげフォローをお願いした。要支援者の40%は心のケアが必要であった。また、血圧値は災害による心理的・身体的損傷と経済的問題・不眠に統計的に有意差(p<0.05)あるいは傾向(p<0.1)が見られた。

この健康調査を基に、復興にはまず「健康第一」減塩運動を展開し、降圧活動が200人の食生活改善推進員を中心にスタートした。調査に参加した555人の保健師の力添えがあっての活動である。

大槌湾には鮭が遡上してくる。3年から5年かけて遡上すると言われている。鮭と同じように再び大槌町へ来ていただき、復興した街を見ていただきたいと考えている。しかし、震災から2年4か月過ぎた現在も、復興は進んでいない。でも、私たちは諦めない。命を失った1,400人の代弁者だから。

(すずきるりこ 元大槌町保健師、現岩手看護短期大学教授)