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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年9月号

文学やアートにおける日本の文化史

東大寺と障害者
~花田春兆氏の大和探訪を振り返って~

和田利明

1 はじめに

今回、編集部から連載「文学やアートにおける日本の文化史」に、東大寺や元興寺での句会、古都奈良でのアート展など、花田春兆氏の大和探訪のエピソードを語ってほしい…との依頼があった。私は奈良の特別支援学校の教員。21年前、花田氏の母校「光明養護学校(現光明特別支援学校)」の同窓会行事に参加し、秋田の湯沢温泉バス旅行で露天風呂やカラオケで寝食を共にして以来の付き合いである。

花田氏は1994年に奈良を訪れた。私は『ゑびす曼陀羅』出版を知り、奈良でビデオ上映と講演を依頼して奈良来訪につながった。その後、花田氏は3回(2001・2003・2009年)奈良を訪れて、そのエピソードを『リハビリテーション』(鉄道身障者福祉協会)の連載「蟹の足音」に記している。

花田氏は、東大寺、興福寺、元興寺、法隆寺、新薬師寺と古寺を訪ねると、必ず天の邪鬼を探して「鬼にも仏にも人にもなりきれず…」、「私はこの世の天の邪鬼…」とつぶやいて、親しげに天の邪鬼に語りかけるように見合っておられた。東大寺では、大仏殿前の「邪鬼足外香炉」の下で大きな鉄鉢を支えている天の邪鬼に気持ちが通ったようである。

人知れず 天地支えて 汗の邪鬼
また2003年に法隆寺で天の邪鬼を見つけた時は、
天の邪鬼 匿(かくま)いて塔 時雨(しぐれ)晴れ
と詠んでおられる。

2 東大寺・元興寺での句会

「俳人として、大和の古寺で句会をされては…」とお誘いして、東大寺と元興寺(どちらも1998年世界遺産に登録)での句会が実現した。

東大寺は、華厳経の毘盧遮那仏(ろしゃなぶつ)(大仏)を本尊とする寺。創建者の聖武天皇と悲田院や施薬院を設置した光明皇后の願いを具体化するため、聖武天皇1200年忌の記念事業として社会福祉法人東大寺福祉事業団を設立し、1955年に肢体不自由児施設「東大寺整肢園」を開設した。奈良の肢体不自由児は「整肢園」で訓練を受けて育った人が多い。また奈良県肢体不自由児・者父母の会連合会は、東大寺が南都諸大寺の高僧を先導してくださるお陰で「チャリティー墨書展」を現在も開催することができている。

2001年10月27日、東大寺の大仏殿の回廊を回った外側の庭園とその座敷で、花田春兆氏を囲む句会が実現した。

花田氏の庭園散策をサポートしてくださったのは、東大寺の狭川宗玄(さがわそうげん)長老(第211代東大寺別当)だった。観光シーズン真っただ中の東大寺だったが、手入れの行き届いた芝生と植え込みの庭園には、一頭の鹿もいなかった。庭園の一隅に大仏殿が大きなお堂として存在感をもって迫っていた。お堂からブンブンと参拝者たちの雑踏が響いていた。不思議な空間で、句会の参加者たちはそれぞれに句の着想をねりながら庭園を散策した。

句会では、座敷の畳に敷物をした上に花田氏が車いすのまま撰者の席についた。狭川長老、当時の奈良養護学校の校長、肢体不自由児・者父母の会の役員の母親たちが、しばし俳句の世界に心を置いた。

花田氏の三首の句が、当時の情景をありありと思い起こさせてくれる。

歩歩に一語 寛(くつろ)ぐ 紫衣の裾 爽やか
大仏の 回廊にいま 鵙(もず)こだま
大仏の 裏の幽(かす)けさ 昼の虫

翌28日は、元興寺での句会。たくさんの石地蔵が立ち並ぶ庭を散策して、座敷で句会…。ところが花田氏が疲れから体調を崩され、晩年の正岡子規のように座敷で寝姿で撰者の任を全うされた。その後、急きょ帰京に。花田氏は、過労で倒れる寸前だったはずだが、その苦痛を凌ぐ精神力を見せてくれた。句会で披露された二首である。

秋深む 梵字顔めく 供養塔
枯れてなお 寄り添う野菊 石仏

3 「障害者三世代交流作品展」とその後

2001年10月27・28日の奈良は、句会とともに、花田氏が俳句に合わせて陶板画を組み合わせるオリジナルの「陶俳画」の初披露目となる記念日。奈良養護学校の卒業生で写真家の勝野一(かつのはじむ)氏、同じく卒業生(当時は高校生)で書家の高岡哲也(たかおかてつや)氏を交えた、三世代交流作品展が開かれた。会場は「奈良ファミリー」(奈良市西大寺)の多目的ホール。繁華街の商業施設だったので、多数の来場者で混み合った。

翌2002年には、花田氏が監修する『目でみる「心」のバリアフリー百科1―美の世界をもとめて』(日本図書センター)に、勝野一氏と高岡哲也氏の活躍が掲載された。

「障害者三世代交流作品展」は、その後、会場を「なら町物語館」に移し、奈良養護学校の卒業生を中心に、法隆寺近くに活動拠点を構えた「虹の家」のメンバーたちも加わって、名称も『チャレンジド・アート展』と改めて2003年に第2回を開催し、2008年の第6回を最後に幕を閉じた。作品を展示してくれたメンバーは、それぞれの生活圏や活動内容に見合う発表の場を設けて、その後もアート活動を精力的に継続発展させてくれている。

勝野氏は、身近な奈良の行事や風物を写真に収め、地元のホテルロビーに常設展示している。高岡氏は、独自の字体に多くのファンがある書家となり、依頼に応えて商品ラベルも書くが、定期的に大和郡山市城址会館東隅櫓ギャラリーで個展を開いている。「虹の家」のメンバーは、毎年「いかるがホール」で開催する安田祥子・由紀さおり姉妹を招いた「虹の家チャリティコンサート」の舞台でハンドベル演奏を披露している。

東大寺理事の上司永照(かみつかさえいしょう)(東大寺持宝院住職)氏は、東大寺での句会や「三世代交流作品展」、2003年からの「チャレンジド・アート展」の開催にもご尽力くださった。交流作品展にはご自身の仏画を出品してくださった。その上司氏が花田氏の印象を「今も鮮明に覚えている。人の話をよく聴き、じっと物事を見つめる聡明な人。前に向かう生命の勢いを感じさせる人…」と語っておられた。

(わだとしあき NPO法人わかくさもえぎ理事)