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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年9月号

証言3.11その時から私は

重度障がい者の自主避難と行政の対応

鈴木尚美

私は福島県に住む全身性(脳性マヒ)障害者で、両上肢および移動機能障害ならびに音声機能障害がある。障害等級1種1級、また障害程度区分は区分6である(介護給付費の支給決定内容、重度訪問介護)。日常的に介助を必要とし、1か月の支給量は235時間。通常であればこの時間数で足りていたが、平成23年3月11日の東日本大震災による避難生活で3月分の時間数を32.5時間、超過してしまった。しかし、この時間数増で済んだのは、慣れたヘルパーがいてくれたからだった。

3.11東日本大震災と東京電力福島第一原発事故は、地域で自立生活している私たちの自己選択、自己決定、自己責任をも大きく揺るがすほどの大惨事だった。「これからどうなるんだろう?」という不安。避難するか、しないか、さまざまな葛藤。私もこの大惨事が「夢であってほしい」と何度思ったかしれない。

3月11日、私は通所先の生活介護施設に仲間と職員といた。だんだん揺れが大きくなり危険を感じ外に出た。3分、5分おきの余震が続き、携帯電話もメールもつながらない。この日、震度4以上の余震は45回もあり、事業所の判断もあり、生活介護施設にヘルパーを利用しながら14日まで泊まった。生活介護施設での避難生活は2人の仲間と3人での共同生活。ヘルパーと、もしものことがあった時のために男性職員も1人泊まってくれた。みんながいてくれたので、大きな余震がきても心強かった。

ところが、翌日12日の原発事故、そしてガソリン不足。12日と13日に事業所から原発と放射能の説明があり、職員とヘルパーに避難指示が促された。時間が経つにつれ、原発事故の深刻な報道。避難区域も10キロから20キロ、そして30キロへ。私が住む町は東京電力福島第一原発から真西に40キロ。いつ避難区域になってもおかしくない状態だった。私たち障がい者はすべてのことに時間がかかるので、早めの避難を事業所から促され、私たちは自分の身を守るため、早めの避難を決めた。

14日、夜遅く私たち単身生活者3人とヘルパー3人、他2人、計8人が事業所の適切な判断のもと、福島第一原発から80キロ、余震も少ない県内会津地方の昭和村の旅館へ一時避難した。19日には、新潟県新発田市のホテルへ2次避難した。徐々にガソリン不足が解消されつつある4月4日まで避難生活をした。昭和村はまだ積雪3メートルで、旅館はバリアフリーではなかった。予期せぬ大震災、初めてで慣れない避難生活。いつものヘルパーがいてくれたからこそ安心して、自主避難ができた。正しい判断と避難誘導してくれた事業所に感謝している。

もし、避難せずにとどまっていたら、ガソリン不足でヘルパーが来れない。放射能が降る中、ヘルパーに「来てください」とは言えない。私はトイレにも行けない。食事もできない。買い物にも行けない。食べるものがなく、一人孤独に飢えに耐え忍んでいたかもしれない。

また、もし体育館などに単独で避難していたら、私の言葉は慣れた人でなければ聞き取れないので、仲間もなく慣れたヘルパーも来ず、誰とも連絡を取ることもなく、寒くバリアフリーではない体育館で、私は誰ともコミュニケーションもとれず、思うようにトイレにも行けない。食事もできない。そんな状態だったに違いない。こうして普段の生活に戻ることもできなかったかもしれない。

避難生活で3月分の時間数を32.5時間超過したことを市の障害福祉係に2度も相談に行ったが、理解が進まないので、変更申請書を窓口に提出しようとしたら、「さかのぼっての変更申請はできない」と受け取り拒否された。なぜ、こんな大震災時に事後の変更申請を認めないのだろう。他市町村はすぐに認めたというのに。私は納得がいかず、市長宛に手紙を書き変更申請書を郵送し、やっと受理された。しかし、「避難区域外の自主避難」「住居が全半壊していない」を理由に却下通知が届いた。その却下通知に納得できず、私は福島県に対し審査請求をした。審査請求の日々はものすごい精神的エネルギーを使い大変だったが、仲間と共に期限ギリギリまでかかり間に合わせた各書類。出会う人、出会う人が親身になって応援してくれた。

12月末に県から届いた裁決書には「介護支給費支給変更申請却下処分は、これを取り消す。」とあったが、自主避難についても、超過時間数32.5時間についても触れられておらず、結果的には市に差し戻しになっただけだった。なぜ、県は公正で明確な判断をしてくれなかったか、悔しい気持ちだった。私は「負けるわけにはいかない!」と、結果が出てからのことは、何も決められずにいた。

そして、平成24年2月末に市から2度目の決定通知が届き、内容は「平成23年3月分のみ、重度訪問介護267.5時間の変更申請を認める。」とあった。この勝訴は、緊急時に行政が柔軟な対応が必要であることを認めたのである。

東日本大震災から2年5か月、東京電力福島第一原発事故も収束していない中、避難する人、残る人、どちらも平等な権利だが、避難しなければならない事態が今後も起こるかもしれない。また、3.11のような大震災がいつ、どこで起きるかわからない。その時、パニックになるのは障がい者も同じだ。その時のために、すべての障がい者が地域格差のない行政サービスが受けられるようにしてほしい。避難誘導や避難場所確保、必要な時間に応じた介助サービスが受けられるように行政に強く要望したい。

(すずきなおみ 障がい者自立生活支援センター〈福祉のまちづくりの会〉)