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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年10月号

証言3.11その時から私は

蝉時雨を聞くたびに

菅原洋介

ミーンミーンと外から蝉の声が聞こえてくる。こうしてゆっくりと蝉の声に耳を傾けたくなるのはなぜだろうか。あの未曾有の大震災から2年半、東北沿岸部の被災地は、大震災から3度目の夏が過ぎ去ろうとしている。

私は、出産時の障がいによって脳性麻痺になり、生まれつき身体に障がいを抱えることになってしまった。3歳までは立つこともできなかったが、今は何とか歩いて移動することはできている。しかし、手と言語に重い障がいが残ってしまった。小さい頃から宮城県に住んでいたためか、いつかは大きな地震が来ることを教わってはいたが、あのような未曾有という言葉を用いたくなるほどの大地震や大津波が来るとは想像もしていなかった。

あの日は、いつものように就労支援施設で仕事をしている時に、がたがたと地震が来た。ここ数日、地震が多かったのでいつもの地震かと考えていたのだが、この時は違って、揺れはだんだん強くなり、今までに経験したことがない強さの地震だった。地震が来たら机の下に入る。子どもの頃から教わった鉄則に従って、作業をしていた机の下に潜り込んだ。四つんばいになり、恐ろしい揺れを経験した。机の下にいたせいで、周りの様子は見えていないのだが、物が落ちてくる音と職員さんたちが必死に指示する声が聞こえてきた。揺れが収まりかけた時に、職員さんたちに誘導をしてもらい、施設の外へそして、大津波警報を知らせるサイレンが聞こえてきたために高台の方へ施設のみんなと避難した。

避難した場所には、次々と人が集まって来た。一様に暗い表情をしていたことを強く覚えている。なかには、着の身着のまま、そして涙声も聞こえてきた。私の自宅は、高台にあったために津波の被害はなかったものの自宅へ向かう道が津波により浸水し、その日は帰ることができなかった。電気や水道のライフラインが閉鎖されたこともあって、私はしばらく友人の家に家族で身を寄せることにした。しかし、同じ施設で働いていた多くの人は、その日一晩は施設で明かしたと後になって聞いた。さらにその後も、トイレや段差の問題などから避難所を何か所も変わることを余儀なくされた方もおられた。

避難した場所から友人の家に行く道中は真っ暗で、余震も引き続き起きていたために、非常に恐ろしい夜だったことを今でも強く覚えている。

情報がないということは不安を募らせた。周りの道路が不安定なためにしばらくは、避難した友人宅で過ごす日々が続いた。唯一の情報源は、手回しで充電するラジオだけで、私は周りが、つまり七ヶ浜町がどうなっているのかと、とても心配になったことを覚えている。加えて電気や水といったライフラインの閉鎖は、普段の生活に戻るためには大きな障害となった。

私は大震災の前から生活をより便利にしていこうと考え、いろいろと揃えてはきたが、それらはすべて電気があった上での話で、電気が使えないということは私の生活にとって困難を招く原因となった。

しかし、こうした問題は今になって考えてみると些細(ささい)な問題だったと言える。それは、働いていた施設が再開し、みんなに会った時に実感させられた。なぜなら、私よりもこの大震災で困難な生活をされていた方が何人もいたからである。今まで普通に生活していた人が一夜にして、家や財産や知人を失う、こうした話を私は聞き、その中でも施設が再開したからまた働こうとしている姿に私は心を打たれた。そして一つの結論として、この生かされた命を大切にしていきたいという強い気持ちを抱くようになった。しかし、この命を大切にしたいという気持ちは、自分だけが強く持っていても叶うものではないだろう。

先の大震災の経験で分かるように、わずかなタイミングで人の生死が決まってしまうのである。確かにあの日、私はいつも通う施設にいて、未曾有の大震災が起きた時には、私をよく知っている職員さんたちがそばにいてくださり、安全な場所に避難をすることができた。しかし、地震などといった自然災害をどこで経験するかは分からないのだ。だからこそ、もっと周りの人が障がい者に対して関心や理解を示してほしいと願っている。

確かに、時代も変化してきたし人とのつながり方も変わってきてはいるが、あのような大震災が発生した時に、まず助けになるのが、その時に私たちの周りにいる人や近所の人の一次的な助けであって、それから恒久的な避難に導くことができると私は思う。障がいを抱える当事者であってもまず、自分を一次的に守っていく糧を確立する必要があると考えている。しかし正直に言うと、私もまだ確立できてなく、模索中の身である。

外の蝉の声を聞いていて、蝉はなぜ鳴くのだろうと疑問に思い、インターネットを使って調べていたら、子ども向けのウェブサイトにはこうした説明があった。

蝉はまずオスの蝉しか鳴くことはせず、メスの蝉に自分の居場所を伝えるために、その結果、自分の子孫を残すために一生懸命に鳴き声を上げるとあった。

私たちも生きていくために今、声を上げていく時なのかもしれないと私は考えている。私たちは、あの未曾有の大震災を生き残ることができ、大切な命を守ることができた。だからこそ、今度は守り続けていく努力が求められているのだと私は考えている。そしていつの日か、障がいを抱えていても安心して生活できる地域社会が誕生することを深く願いたいのだ。

(すがわらようすけ はらから福祉会みお七ヶ浜)