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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年10月号

知り隊おしえ隊

旅で見た!世界の障害者就労事例

木島英登

旅の楽しみは、非日常空間での発見である。世界を旅して、その街中で障害のある人が働いている姿を見るとうれしくなる。保護隔離されることなく、社会の一風景として存在することが大切である。常識って何だろう?普通って何だろう?障害って何だろう?日本では見たことがない3つの事例を紹介したい。

南米コロンビア

南米コロンビアへの移動。経由地のメキシコシティ空港では、一旦入国してからの乗り換えとなった。空港のフードコートでタコスを頬張り、ターミナル内へ入ろうとすると、セキュリティチェックのところに車いすの人がいた。

私も同じ車いすユーザー。お互い旅を楽しもうぜと笑顔で「オラ(スペイン語でやあ)」と彼に声をかけようとしたら、様子がおかしい。旅行者じゃないのか?では何しているの?

その車いすの人は、紺色のセーターを着ていた。そして前を通過する人たちに声をかけている。私にも声をかけてきた。「チケットを見せてください」。やっと分かった。荷物検査の前に検札をする空港の係員だった。

車いすの職員だ!へぇーと思いながら、荷物検査と出国審査を終えると、中にも胸にワッペンのついた同じ紺色のセーターを着た車いすの人が4人いた。そのうち2人は女性だった。飛行機が何番の搭乗口から出発するのかが表示される巨大な掲示板の前にいる。自分が乗る飛行機のゲートを探している人に声をかけたり、尋ねられたり、道案内をしていた。

車いすの人が検札をするのは、過去2度見たことがある。米国アリゾナ州フェニックス空港、南アフリカ、ケープタウンにあるテーブルマウンテンのロープウェイ乗り場である。サービスの現場に障害のある人がいる風景は、残念ながら日本では見たことがない。知的障害のある人がウエイトレスやレジを打つ、レストランとパン屋はあるが、福祉作業所の運営というのが前提とされているので違う。

メキシコで会社経営をする友人によれば、日本のように障害者を雇用しなければならない法律はなく、企業の理解もないため、障害者の一般就労はとても厳しいとのこと。よって路上で物乞いをすることとなり、障害者は仕事がないから、働けないからと、現地の人たちも積極的に施しをしている。

国の玄関口である国際空港。そこに多くの車いすの人が働くことは、政治的パフォーマンスの意味合いが強く、一般的でないのも事実だが、何もしないより、ゼロよりは事例がある方が良いに決まっている。他の職員と同じように制服を着て、車いすでも一緒に働いている姿は何よりとっても格好良かった。

南米では、街中で車いすに乗って宝くじを売る人を本当に多く見る。たばこ、ガム、お菓子が詰まった台を車いすの上に広げて売る人も多い。コロンビアの首都ボゴタ空港では、掃除のおばさんは皆、ろうあ者だった。空港ターミナル内では、車いすの売り子がアクセサリーを台に載せて闊歩していた。

タイ・バンコク

タイの首都バンコク。何車線もある道路、途切れることのない自動車とバイク。雨が多いからか20センチぐらいの高さがある歩道には傾斜がないことも多い。正直、車いすで歩くのには最も困難な都市の一つだが、不規則に入り組んだ路地裏に入ると、露天の食堂や商店が無数に立ち並び、途絶えることのない喧騒(けんそう)に魅了されてしまう。マッサージ店で、足つぼを押してもらえば至極の時間。バリアな街など吹っ飛ぶ快楽がある。

持ってきたTシャツが破れてしまったので、露天で安いTシャツを探すことにした。歩道の両側に土産物屋が立ち並び、面白いロゴや、文字の入ったTシャツがたくさん陳列されていた。その中から一つを選び、値段交渉開始。希望金額までは値切れなかったが、約300円で購入した。

翌日、Tシャツを買った土産物屋さんの前を通り過ぎる時、店員さんが胸の前で何やら手をしきりに動かしているのが気になった。あれ?と思ったので、しばらく見つめていると、向かいの土産物屋さんも同じように手を動かしている。手話である。

昨日、私にTシャツを売ってくれた店員さんは、耳の聞こえない「ろうあ者」だった。全く気づかなかった。私はタイ語が話せない(多くの旅行者もそうでしょう)。ほしいTシャツを指さして、取ってもらう。値段交渉は店員さんが電卓を持ってきて、そこに金額を打ち込むことになる。考えると、店員さんと会話をした記憶がない。

この土産物屋さんのある一帯は外国人旅行者が集まるところ。地元の人が買うことはまず有り得ない。お客さんがすべて外国人であれば、言語によるコミュニケーションは重要ではなくなる。外国人だからといって全員が英語を話せるわけじゃなし。お客さんも言葉に頼ったコミュニケーションで買い物をするより、身振り手振りでコミュニケーションする方が気楽というわけ。

この通りの土産物屋さんの店員はすべて「ろうあ者」だった。手話で会話する相手がいるので、暇な時間も大丈夫である。

福祉的に雇用しているのか、安く雇えるからなのか、なぜ「ろうあ者」ばかりの土産物屋が並んでいるのか理由は知らないが、聞こえないことが障害にはならないのなら、売り子が可能になることに驚かされた。障害があるというだけで一律的に接客業は有り得ないという常識が覆される。

インド

さまざまな宗教、言語、人種が入り乱れて暮らすインド。世界中の旅人が魅了される国である。汚さ、不潔さが気にならないのなら、物価も安く、英語が通じ、食文化も豊かなため、旅は楽しくなる。

12億人が住む広大な国土には、旧宗主国イギリスの影響を受け、鉄道網が発達している。鉄道をいかにうまく利用できるかが旅のポイントとなる。世界の鉄道は日本と違って、ホームが低く、列車に乗り込むのに階段を上らなければならないのが多いが、インドは日本同様にホームが高く、列車へは小さな段差2つのみ。車いすの私も、周りの人に担いでもらって簡単に乗り降りができる。

駅舎やホームにもスロープが整備され、陸橋にも長いスロープが作られている。その目的は車いす向けの配慮ではなく、貨物を運ぶ台車用に作られたものである。とはいえ、肢体不自由な乗客への配慮も考えられている。駅には白い介助用車いすが完備され、身体の不自由な人、高齢者、病人が利用している。

主要都市を結ぶ特急列車の長い車両の最後尾には必ず、障害のある人の車両が用意されているのも特徴である。価格が最も安い2等自由席の一部に該当する。そこには、車いすでも入れる洋式トイレが完備されているのに驚かされる。手すりはなく、トイレの床は水に濡れ汚いが、何も無いよりはマシ。うれしい配慮。

しかしながら、私のインド旅行。この障害者車両は使わない。インド鉄道で最も一般的な寝台座席を予約する。長時間の移動では、横になれるのが楽だからである。寝台車は、横長の座席が3段ベッドに変わる構造。中段ベッドは、通常時は下の段の背もたれになる。車いすの私は、もちろん一番下のベッドを予約する。通路も幅が広く、車いすでも通れる。料金も、東京―大阪間の距離が1000円以下と格安である。

寝台座席は、地元民が多く利用するため、とても賑やかなのも特徴である。チャイ、弁当、おやつ、土産物など、途中駅で乗り込んでくる売り子が多く、騒々しく混沌としたインド文化が車内に繰り広げられる。

売り子以外の人も乗り込んでくるのがインドの面白いところ。白杖を持って車内を歩きながら歌う人がいる。脳性マヒで手足に障害のある人が這いながら雑巾やホウキを持って床を掃除しにくる。女装をした男性がホステスのように話の相手をしにくる。いずれもマイノリティと呼ばれる少数派の人たち。単なる施しを貰うのではなく、労働をしていた。小銭をもらう底辺の仕事かもしれないが、社会の中でしっかりと生きている。

インドは街中でも、障害のある人をたくさん見かける。物乞いであったり、掃除であったり、底辺に位置するかもしれないが、社会から存在が消去されているよりはずっと良いと思う。

同じ南アジアの文化圏であるスリランカ。1週間旅行をしたが、祭りの日に物乞いをする1人しか障害のある人を見なかった。

興味深かったのが、旅行中、3人の人に全く同じ質問をされたことである。「君は、何に乗っているのだ?」である。「これは車いすと言います」「歩けないから乗っています」と私は答えるが、質問者は不思議な顔をするだけで理解してくれない。世の中に、歩けない人がいることが想像できないようだった。

私の旅行経験として、他民族、多文化の国は、障害のある人を街でたくさん見ることが多く、社会の一員として存在している気がする。違いに対して寛容であることが理由であろうか?一方で単一文化、民族思想を持つ国は差別が強い気がする。障害者への差別問題は、マイノリティ問題の一つとして考えることが大切である。

(きじまひでとう 車いすの旅人、世界100か国以上を訪問、バリアフリー研究所代表)


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