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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年10月号

列島縦断ネットワーキング【沖縄】

脳損傷友の会ゆい沖縄の就労支援

糸数悦子

はじめに―家族会の設立

平成17年9月に脳損傷友の会ゆい沖縄という家族会を結成し、高次脳機能障害の啓発活動として、県外から講師を招き「高次脳機能障害とは」から始まり「諦めない地域支援」をテーマに年2回の講演会を開催しました。

「脳外傷による高次脳機能障害」「見えない障害」とテレビや新聞などメディアを通じて知られるようになったこともあり、当事者、家族を含む200人余りの医療や福祉関係者に参加していただきました。

当初、12人だった会員が40人となり、活動の拠点として19年3月に事務所を開設しました。集いの場としての事務所でしたが、週1回、賛助会員の言語聴覚士、理学療法士の先生による認知トレーニングと訓練を主とした作業を行い、平成20年に独立行政法人福祉医療機構長寿・子育て・障害者基金助成事業より助成金をいただき、「もう一度働きたい!を支援するために」のテーマでの講演会、離島を含む4か所の福祉保健所での勉強会を開催しました。テーマは「地域における生活支援」。また、作業療法士を迎えての週1回の訓練日を2回に増やし、精米作業、販売を行うようになりました。

しかし、利用者8人からの利用料では運営資金が厳しく、「事務所を閉めようか?」となった時、訓練により成長の兆しを見せはじめている彼らのことが気になりました。特に、高速バスを乗り継いで通ってくるS君です。「自分で通えるようになりたい」という本人や家族の思いに対して、居住地の相談支援事業所の支援専門員を中心にゆい沖縄の関係者、ヘルパー事業所スタッフがチームを組んで支援を行なっていました。

中心となった支援専門員の方は、高次脳機能障害者への支援は初めてとのことでしたが、非常にフットワークが軽く『まずは一緒に歩いてみました』とS君に同行してゆいへやってきました。そして、どこにサポートが必要かのチェック後、初回の個別支援会議を『団結式』と銘打って開催したのです。初回会議で「いずれ一人で通えるようになる支援を実施していく!」という方針が決まり、支援過程で生じた課題は会議で話し合い、みんなで対策を考え、各関係者の役割を分担しました。

課題の例を挙げると、時々目的地で降りずに乗り過ごしてしまうことが起きるため、具体的な対策として、1.メモリーカードを見る習慣をつける、2.バスの運転手の協力を得る、3.緊急時のマップの作成、が決まりました。1のメモリーカード習慣化のために、日中活動の中でカードを見ながら行動することを促す役割を、ゆいやS君が利用している他の事業所、ヘルパーが担う。2のバスの運転手の協力や3の緊急時のマップは、支援専門員がバス会社へ協力依頼文書を作成する、緊急時の連携マップを関係機関へ配布する役割を担うといった具合に課題を抽出し、具体的対策と役割分担を行なってきました。

この移動支援の中で、S君はメモリーカードを見ながら行動することや携帯電話を使うことなどが可能になり、彼を支援する地域でのネットワークも広がりました。同時に、家庭内で自発的な行動が増えてきたと、定期的な個別支援会議で家族からのうれしい報告がありました。

NPOゆい沖縄の設立

この経験を通して、確実に変わってきた当事者たちを支援し続けることの大切さや訓練の必要性を再認識し、事務所の継続運営のために平成22年3月1日、特定非営利活動法人ゆい沖縄を設立しました。

4月からは、就労継続支援事業B型をスタートしました。精米、販売、小物作りに加え、職場実習を取り入れ、ドラッグストアや八百屋での品出しとデイサービスを体験した2人がスーパーと老人保健施設に就職することができました。翌年には、県障害者自立支援基盤整備事業の助成を受け、2バス停先の沖縄国際大学の向かいに移転し、かなさんキッチン(弁当屋)を開店しました。

現在、13人の高次脳機能障害者が利用しています。毎日が4人、週3回が4人、週2回が5人です。キッチンでの作業は4人、仕事はご飯の計量、盛り付け、電話対応、接客、販売です。当初、電話注文を怖がっていた利用者も復唱しながらメモをとり、それを配達先注文票へ転記、ホワイトボードに書かれたその日のメニューと、個数の横に注文の数を正の字で数え、最後に残を確認することで、配達先への仕分けも間違えることなくこなせるようになりました。他の利用者は、別棟でホワイトボードに書かれた一日のスケジュールに自分の担当を確認して副菜作りや売り上げ入力、リサイクル事業等で頑張っています。

ゆいの特色―認知トレーニングと評価

ゆいの特色は、週3回行なっている認知トレーニングと評価です。家族会の事務所開設時に、奇しくも沖縄国際大学へ赴任された上田教授のアドバイスを受けながら、上田先生の教え子の臨床心理士学科の大学院生に認知トレーニングをボランティアで手伝ってもらっています。また、評価を行うことで、自身の障害を認識することができます。そうすることで作業においては、個々にあった支援を指導員の共通理解のもと可能となります。

ゆいでは、送迎のある事業所が大半を占めるなかで、「自分でバスを利用して通えるように」との願いで送迎はありません。身体的に大きな問題はないにもかかわらず、記憶・遂行機能障害をもつ高次脳機能障害者にとって、公共の移動手段のバス利用は、かなりのバリアです。それは、S君への支援でみんなが実感しました。しかし、利用者の中にはS君のようにバス利用が可能だと思える人もいるので、相談支援事業所の支援員に移動支援でバス訓練を計画に入れてもらうようにお願いしました。しかし、障害程度区分や市の予算の関係なのか、厳しいという返事の市がありました。

家族の送迎で通う利用者は、家族の都合で休むこともあり、家族も片道1時間の送迎という負担もあると思います。個々に合った支援には程遠い現状も確実に存在し、さまざまな困難を抱えながらの運営ですが、当事者の成長が継続への力になっています。

当初、みんまが集まる場としてスタートした事務所では、利用者同士の会話も乏しく、上田先生の評価においても自己肯定感の低さとして表れていました。しかし、認知トレーニングやできる作業を通して周りから認められる体験を重ねていくうちに、少しずつ自信を取り戻してきました。集団の中で過ごす時間は、人のふり見て我がふり直す場所にもなり、社会性が身についてきました。お互いの弱いところをカバーする気遣いが生まれ、当事者同士の会話が弾むようになったのです。評価でも自己肯定感のアップが数値として示されました。

いつまでもみんなが集まれる場所として

今年は家族会結成から9年目を迎えますが、相談窓口すらなかった頃に比べると相談支援拠点機関が2か所設置され、支援の輪が広がっている現在は、隔世の感があります。おかげで当事者の多くが一般、または福祉的就労の形態で社会へと踏み出しています。

社会人となった彼らですが、ゆいの事業所は気軽に立ち寄れる場にもなっています。今日は、休みだからと利用者と一緒になっておしゃべりを楽しみながら作業を手伝い一日を過ごす当事者、午後からの勤務の人はかなさんキッチンのお弁当を買い、みんなと食べて出勤する当事者、リサイクル用の缶を持参する当事者、悩みを抱えて電話をかけてくる当事者、困ったことが起きた時だけ駆け込んでくるご家族もいらっしゃいます。

ゆいは家族会としてのカラーも併せ持ちながらの事業所なので、在り続けることに意義があるのかもしれませんが、働く場としての意義も見出さなければなりません。安い工賃では働く意欲も湧かないと思います。

事業を始めた当初の利用者工賃は、月1万円から多い人でも2万円でしたが、かなさんキッチンをオープンしてからは、時給制にして多い人で5万円です。

利用者の少なさを危惧する声も聞こえますが、高次脳機能障害に特化した福祉就労の場として、これからも工賃アップを目標として事業を継続していきます。

(いとかずえつこ NPO法人ゆい沖縄代表)