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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年12月号

時代を読む50

米国IL運動家マイケル・ウィンターを偲ぶ

日本の障害当事者運動に多大な影響を与えてきたマイケル・ウィンター氏が、去る7月11日に、ワシントンDCの自宅で急逝しました。享年61歳。淳子(あつこ)夫人と子息のたかよしさんを残して。10月31日、淳子さんを囲んで日本の関係者が集い、マイケルを偲ぶ会が東京で開かれました。

私がマイケルに出会ったのは、1981年のハワイ自立生活センター(HCIL)の設立当時。ハワイ州政府の助成を受けて自立生活センター設立のため、彼はバークレー自立生活センター(BCIL)の副所長を辞めてHCILの所長として赴任しました。私は、ハワイ大学の修士課程のインターンシップをHCILで終え、そのままピアカウンセラーとして就職しました。マイケルがハワイを離れてBCILの所長に就任した後も交際は続きました。

彼の元で働いた2年間は、毎日が楽しさの連続でした。マイケル、理事長のジョン・グリーナーそして私は、年齢も近くトリオとして仕事も遊びも一緒でした。自立生活センターは、他の島にも支所ができ、当時、HCILの活動が新聞やテレビに取り上げられない日がないほどでした。

1972年にカリフォルニア州バークレー市にBCILが設立され、自立生活運動は、瞬く間に全米に広がりました。当時、その動きを視察するために、日本から多くの関係者がBCILやHCILを訪れました。そのような中で、東京から、アメリカの自立生活運動のリーダーを招聘したいという話があり、バークレーに戻ったマイケルと連絡を取りながら、バークレーとハワイの障害者リーダーの訪日団を組織しました。

1983年に日米障害者自立生活セミナーが開催されました。マイケル、ジュディ・ヒューマンを含む7人の障害当事者リーダーが訪日し、東京、大阪、北九州市等6つの都市で白熱したセミナーが開かれました。この日米間の交流は、日本の障害のある人の自立生活運動に大きなインパクトを与えました。その後、日米間交流は、八代英太議員とジャスティン・ダートJr.により日米障害者協議会へと発展していきます。第1回協議会は1985年に東京で開催され、その後サンフランシスコ、横浜と、隔年で、日本と米国で開催されました。米国の事務局はマイケルが担いました。

マイケルは、さらにダスキンの障害者海外研修事業の受け入れ先として、多くの日本の若いリーダーをBCILで受け入れ、支援しました。また、米国運輸省の高官になった後も、度々訪日し、最新の米国の情報を届けてくれました。彼ほど、日本の障害者運動に貢献したリーダーはいないでしょう。マイケルのご冥福を祈ります。

(高嶺豊(たかみねゆたか) 琉球大学教授)