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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年2月号

時代を読む52

「国連・障害者の十年」最終年記念国民会議
列島縦断キャラバンの意義

1992年は「国連・障害者の十年」の最終年にあたる。最終年を終わりの年にしてはならない、との切実な思いから日本身体障害者団体連合会、全国社会福祉協議会、国際障害者年日本推進協議会(JDの前身)、日本障害者リハビリテーション協会が主唱4団体となって国民会議が組織された。そして、最終年記念キャンペーン事業の一つとして「列島縦断キャラバン」と「市町村網の目キャラバン」が実施された。

2つのキャラバンは、同年10月9日に北(稚内市)と南(石垣市)を「世界平和の鐘」を合図に同時スタートした。縦断キャラバンは、北周り南周りの2コースを、13人の運行責任者(車長)でタスキをつなぎながら、12月8日に開催される国民会議パレードに合流すべく東京を目指した。その2か月間に、47都道府県と12政令指定都市すべての知事と市長に、障害者施策の推進を求める国連代表、内閣総理大臣、国民会議のメッセージを手渡しながらキャンペーン活動を行なったが、その走行距離は航路・空路を含めると10,500キロメートルに及んだ。

他方、網の目キャラバンは、都道府県単位に設けられた実行委員会が主体的にキャンペーン活動を行いながら、2,987市区町村(全体の91.7%)を走り抜けた。その走行距離は約7万キロメートルと記録されている。

私は縦断キャラバン南周りコース最初の車長として、石垣市の出発式に立ち会うため2日前に現地入りしたが、事前に用意されているはずのマニュアルが出発式に間に合わず、出たとこ勝負の現地調整となった。半嶺石垣市長に面会してキャラバン出発式への協力をお願いし、熱気あふれる現地の実行委員会の皆さんと打ち合わせできたことで、まぁ何とかなるか、と腹を据えたことを思い出す。それから沖縄、鹿児島、宮崎とキャラバンカーとともにキャンペーン活動を行い、宮崎で次の車長にタスキを委ね役割を終えた。

キャラバンには三つの目的があった。1.中央と地方それぞれのレベルで障害者関係団体が連携を強めることで一体感を味わうこと。2.官民の関係者が協力し一つのことを成し遂げ達成感を実感すること。3.多くの国民に「完全参加と平等」の理念を伝えること。

準備期間が半年というキャンペーンだったが、各地の障害者団体が一つの目的に向かって協力し合い、障害者自身が直接知事や市長に思いを伝え、街頭で市民にアピールを行なったことは、参加した一人ひとりに自信と希望をもたらしたものと思う。そして期間を通じて、各地のマスコミが取り上げたことが「完全参加と平等」の理念を市民レベルに浸透させることに貢献した。

その後「アジア太平洋障害者の十年」、第2次「アジア太平洋障害者の十年」と運動のタスキも継承され、日本でもようやく障害者権利条約批准に至ったことは感慨深いものがある。

(武者明彦(むしゃあきひこ) 東京コロニー)