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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年2月号

1000字提言

潜水服で大宴会

福田暁子

少しずつ、時にはびっくりするほどのスピードで身体の機能がなくなっていく。まずは視力。そして聴力。そして歩行に座位保持。そして上肢機能。そして呼吸。あとはなんだっけか?…嚥下障害、排泄機能障害。発声が全くできなくもなる。これだけ、ぶっ壊れていても、人間というのはしぶとく生存するものらしい。なんだか甚だおかしいようなまぎれもない事実である。

これだけナッシングの状態にいると、ALSの人がうらやましくなったりして、だいぶ性格悪い。ラジオでもテレビでもつければ、ひとまず勝手に何かしらの情報が流れてきて気がまぎれそうじゃないか。私は胸から下は痛みも鈍感なので、ふんわりと宇宙空間を漂っている感覚に近いかもしれない。

とくに呼吸苦もないような、そんな状態の時、私は逆に自由になる。すべてのあらゆるものから解き放たれて自由になる。アウンサンスーチーの著書に「Freedom from Fear」というのがあるが、そんな感じ。見えないことの葛藤や恐怖や、聴こえない葛藤、誰かに何かを伝えたいけどなすすべもない葛藤、排泄との葛藤、胃ろうから勝手に栄養補給しておくのでハラヘリとの葛藤、そんな葛藤はすべて消え去り、自由を手に入れる。そして、私は大いなる旅に出る。旅に出る時、私の心はなんともいえない幸せな気持ちになっている。理由はわからない。おそらく、それまで必死にあらがってきた事実がすべてなくなった瞬間だからだろうか。

決して夢を見ているわけではないのだ。空想とか妄想とかとも全く違う。「旅」である。車いすで吉祥寺の街を爆走する。いろんなものを触って、買い物をする。シャンプーの詰め替えを買っておかなきゃとか思い出したり、駅ビルに行って、めぼしいおかずを買い込む。味見して、勝手にマイレシピに登録する。ハリーポッターのようなイメージの修道院(なぜ修道院なのかはわからない)で、食事の準備をする。ランブルドア的イメージの神父が「宴会だ、思う存分食べよ」という。たまにタイの友だちもいて、ムカタという取り放題のみんなでつつくお鍋だったりもする。飲めや~騒げや~踊れや~の大宴会である。でも、私は意外とシャイだから決して踊らない。

きっと、潜水服は蝶の夢を見るなんていう暇はない。そんな楽しい大宴会の真っ最中に、凡人地球人ヘルパーやら、訪問看護師やら、訪問医やら、いろんな人が身体を揺らしたり、勝手に顔を拭いたりして邪魔してくる。非常に迷惑、最高に楽しい時に限って邪魔する。ちょっとほおっておいてくれませんかね?とか思ったりする時もある。そして、「旅」から帰還した時、また葛藤の日々が始まるのである。ちっ。


【プロフィール】

ふくだあきこ。1977年生まれ。全盲ろうをはじめとする重度重複障害。現在は、いくつかのバイトをかけもちしながら東京都内で一人暮らしをしている。