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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年3月号

提言 自然災害と障害者

震災から見えた「知的障害をもつ方の人の環境と意思決定支援」

古川敬

もうすぐ三度目の3月11日を迎える。意識せずとも心穏やかでは居(い)られない日である。

あの時、当法人を利用する知的障害をもつ方々が今この時に口にする水と食料を求め奔走し続けたこと、原発事故拡大の予測のもと、縁のあった西東京の法人に利用者と職員、家族の受け入れをお願いしたことが昨日のことのように甦(よみがえ)る。

知的障害をもつ方々の障害特性は、繰り返される事象には寛容な反面、変化に対する臨機応変な対応は苦手といわれ、我々支援者も実感している。

しかし、あの時の非日常的な日々が続く中にあって、彼らの表情や行動は我々以上に平常を保っていたことが忘れられない。それは知的障害による状況の無理解なのだと言ってしまえば簡単なことだが、私にはけしてそうは思えない。なぜなら、一時的ではあっても住環境や日課の大きな変化から社会が苦難に直面し、その状況下にあることを少なからず理解していたと感じるからである。

だとしたら、何が彼らの心を平常に保つ要因だったのか。思い当たることが一つある。それは「人の環境」に変化がなく日常だったことである。

共に施設やグループホームで生活する仲間の存在、長年寄り添ってきた支援者の存在、それこそが3.11から続いた非日常の中での唯一の「日常」であったことに間違いはない。

一方で、避難所などで知的障害をもつ方々がパニックとなり、周りの迷惑と捉えられ、車中での生活を余儀なくされた多くの事例を耳にした。まさにそこは「人の環境」の日常が無かったか薄かったのであろう。

知的障害をもつ方々の思いを感じ意思を汲(く)み取ることは、一朝一夕にできることではなく、ある程度の時間をかけ、言葉のない方の声なき声を聞く術を得て、はじめて信頼関係が築けるのであり、そこに彼らを取り巻く「人の環境」の日常が生まれ、彼らにとって最大の安心が誕生するのだと考える。

このことから、知的障害をもつ方々にとって、障害者基本法や障害者総合支援法に謳われた「意思決定支援」は、単に意思を汲み取り決定に導くだけのものではなく、信頼関係が築かれた支援者が寄り添う「人の環境」の日常が整ってこそ育まれる、平常心や安心感のなかでこそ実現されるものなのだと感じた3年間である。

(ふるかわたかし 社会福祉法人育成会本部事務局長)