音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年3月号

1000字提言

バスを取るか、電車を取るか
~真のアクセシビリティとは?~

堀内佳美

1983年の国連・障害者の十年から30年、2006年の国連の障害者権利条約採択から8年以上経過した今、各国の権利擁護運動の成果もあって、世界中でアクセシビリティが見直されてきている。私が暮らしているタイもその例外ではない。

たとえば、スカイトレインやBTSと呼ばれるバンコク都内を走る電車。残念ながら、開通当初にできた駅の多くにはまだエレベーターが完備されていないのだが、その後、どんどん延長されている路線の駅には全部エレベーターが付いている。そして、タイ全国の公共の場にわんさかいる警備員さんが大活躍。障害者と見ると走ってきて、改札からホームへエスコートし、無線機で下車する駅に連絡してお出迎え。ちなみに地下鉄はBTSより後にできたため、全駅車いすでアクセス可能だそうだ。もちろん警備員の案内もある。

しかし、電車や地下鉄が走っているのはごくわずかなエリアだけ。かといって、タクシーも、いくらワンメーター100円からとはいえ、同じ値段でご飯1食食べられるこの国では、毎日使うには少なからず財布が痛む。

そんななか、市民の足として親しまれているのが、都内を縦横無尽に走り回る路線バスと、運河を走る船たちだ。このバスと船が「アクセシビリティ」のアの字もないような代物なのである。車いすのためのスロープやバス停を知らせる音声案内がないのは、まあいいとしよう。でも、このバスの運転手さんたち、バス停に人がいても、留(と)まってくれないことさえあるのだ。私など、周りに確認できる人がいない時、「これはバスかな?」と思って走って行って留めようとしたらトラックだった、というような経験が何度もある。船も、激しく上下に揺れる甲板を歩いて、油断したら障害がなくても転がり落ちそうな階段を上り下りしなければならない。

でも、ある意味、バスも船もアクセシブルなのだ。なぜか?文字通りマンパワーである。バス停では、いつ来るかわからないバスを1時間も一緒に待ってくれる人がいる。めちゃくちゃな運転をするバスでは、必ず誰かが席をゆずってくれる。船に乗る時には、周りからいくつも手が伸びてきて、甲板との間にはまらないように支えてくれる。

もちろん、よりアクセシブルなまちづくりに取り組むことは必要だ。しかし、多くの批判を覚悟であえて書かせていただくなら、世界中をどんな障害をもった人たちにも使えるようにする、というのは絶対に不可能なことだ。

電車もバスもどちらも大事なあり方ではないだろうか。


【プロフィール】

ほりうちよしみ。1983年高知県出身、全盲。現在タイのチェンマイ山間部で、読書と学習の喜びを伝えるNGO、アークどこでも本読み隊を運営。