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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年7月号

麦の郷と精神保健福祉実践
―“ほっとけやん”マインドと地域協同の追求―

山本耕平

麦の郷(社会福祉法人一麦会)は、和歌山県の北部(紀北地方)の和歌山市・紀の川市を中心とする地域で、障害種別を超えた障害者・高齢者の地域生活支援を展開している。麦の郷実践の萌芽は、今から40年ほど前、すべての障害者に教育権が保障された時、養護学校卒業後の青年期発達権保障を求めた運動と彼らが働き・集う場を創り出した実践にある。

その頃、麦の郷実践が精神障害者と始めて出会ったのは、知的障害や聴力障害の仲間が働く共同作業所に参加してきた1組の姉弟の精神障害者を通してであった。この姉弟を、障害者やそこで働くスタッフは“なかま”として受け止め、彼らが望んだ地域生活を保障するために奮闘した。精神科医に勧められた入院を拒み「たつのこでいたい」と願う姉弟と、彼らを地域で受け止めようとする障害児者の親から私たちや行政は多くを学んだ。

和歌山には“ほっとけやん”という方言(放置することができない)がある。麦の郷精神保健福祉実践は、この“ほっとけやん”マインドと、無い資源を地域協同の力で創り出す実践哲学を根幹に置いてきた。

1 ダイナミックな(動的な)地域生活を創り上げる実践

麦の郷は、「障害をもつ人の権利保障・発達保障」「障害をもつ人の自立支援」「子どもから高齢者までのライフサイクルをふまえ、支えられそして支える街づくり」という三つの理念を持つ。これは、麦の郷の36年の歩みが反映されたものである。

「障害をもつ人の権利保障・発達保障」は、それぞれの実践現場で追求されてきた。“働く場”では、その人に適した仕事を創り出すしかけをつくってきた。そこでは、青年期の障害者が、仕事を通して地域社会に貢献する誇りを獲得し、生活の自立が可能となる実践を追求してきた。地域のスーパーマーケット店頭の売り場で、地域住民が活用できる商品を生産し販売する彼らと、最近まで病院で担当看護師であった人(住民)が出会い、彼らから商品の特徴について説明を受ける姿は珍しくない。

ダイナミックな地域生活を創り上げる実践者は、当事者とスタッフ、地域住民である。地域生活は、施設や病院のように、なんらかの専門家によって「護られる」場所ではない。そこは、精神障害者が、今、生きる社会の主体として住民と共に創り出す場である。そこでは、「対象から主体へ」という言葉が実践化される。地域生活を構成するあらゆる者が、「支援―被支援」の関係性ではなく、それぞれの責任性と立場性を発揮し、地域での生きづらさとダイナミックに向き合う協同的関係性こそ、新たな地域生活を創り出す力となる。

2 ディス・エンパワメントと対峙する当事者、実践者、地域住民

麦の郷は、地域生活を創造するために、多くのピアスタッフを協同実践者として捉え実践する。押し寄せる不安や困難のなかで、障害と向き合い、生活と対峙し、自己の素晴らしさや可能性を見出しつつ社会に参加する当事者の姿は、実践的な困難に押し潰されそうになったプロスタッフに勇気と目標を与える。

麦の郷では、精神障害者を含む障害者を“なかま”と呼び、住みよい地域や社会を築き上げる事業を協同で進める。この事業の根底を流れる協同的他者関係は、プロスタッフや地域住民が、時には実践上の揺らぎを持ちながら成長することを可能としてきた。同時代を生きる“なかま”としての互いの尊厳と配慮は、個々人を「できる―できない」で評価するのではなく、各々の可能性に着眼し、個と集団、コミュニティのエンパワメントに向かう力を蓄えてきたのである。

麦の郷は、「コミュニティを動かす」過程では、障害種別の異なる集団が相互にスティグマを持ち、排除せず、障害者がこの社会で生きる権利を主張する力を獲得することを願い実践してきた。たとえば、その一つに、麦の郷が結成当時に支援したユニークフェイスの当事者会に、当初、精神障害をもつPSWが参加し、生きづらさを語りあい、共通する地域生活上のニーズと個別のニーズを確認しあった実践がある。

地域生活のなかで、当事者、実践者、地域住民が生活要求と向き合い、さまざまな運動や拠点づくりを進めるなかで、和歌山県行政の姿勢が大きく変わってきた。たとえば、県の精神保健福祉センターの運営協議会に、家族会や麦の郷が参加し意見を述べている。また、地区社会福祉協議会と麦の郷が地域を創り上げる取り組みを行なっている。

もちろん、地域住民との間で葛藤が全くなくなったわけではないが、地域住民と障害者、麦の郷スタッフが話し合い生み出した「人にやさしい福祉の街づくりは西和佐から」というスローガンが、地域づくりの目的となり、西和佐地区以外にも拡がりつつある。たとえば、紀の川市では、町起として住民から提案された築100年の古民家活用が、住民が集い、憩い語る“場”となりつつある。

3 如何(いか)に働き、如何に生きるかを目指す麦の郷実践

青年期以降の精神障害者にとって就労を通した社会的自立は切実な課題である。ただ、発病前に就労経験がない者や就労先でのストレスが発病と深い関わりをもつ者にとって、就労は大きな課題である。労働支援部では、障害当事者の「働きたい」という要求を実現するために、1995年に日本初の精神障害者福祉工場「ソーシャルファーム・ピネル」を設け、その後、彼らの働く場を充実してきた。

しかし、麦の郷は、法人内施設への就労をすべてと考えているのではない。また、法人が運営する諸事業への就労によって自己完結を図ることを目指していない。それだけでは、彼らの「面白い仕事がしたい」という要求を満たすことができない。また、彼らが「なんのためにやっているのか」「自分は、なんのために仕事をしているのか」という問いの答えを見つけるためには、より多くの仕事場が必要である。

たとえば、障害者が地域の農業者と共に「面白い農業と、自己が生産した作物を供給する職場」の開拓を進めるならば、彼らは、農業者から仕事を通して人生を学び、如何に働き、如何に生きるかを追求するのである。さらに、麦の郷は、地域文化を活用した居場所や交流拠点としてのカフェの運営等により、健常者・障害者、ひきこもる若者とその他の若者が地域生活を共に創り上げる取り組みも進めている。そのなかで、地域に協同的関係性が拡がり、精神障害者が働く協同の事業所が増えつつある。

「如何に働き、如何に生きるか」の夢を実現させるためには、当然、彼らが自活するための賃金保障を進めなければならない。麦の郷では、「ソーシャルファーム・ピネル」を生み出して以降、「生活保護の返上」を達成した精神障害者もいる。さらに、麦の郷で働く障害者のなかには、多くの者が法律婚や事実婚を行いパートナーと人生を送っている。そのなかには、「安心できる人たち」として地域の自治会や借家協会から信頼を得ている者もいる。

4 麦の郷実践の直面する課題

和歌山県では、措置入院率が減少する一方で、医療保護入院率が年々増加傾向にある。この事実は、精神障害者が地域で暮らすための暮らし・憩い・就労・医療の資源を整備する必要性を現していると言えよう。

和歌山県の精神障害者が地域で生活する上で残されている課題の一つには、24時間365日、精神障害者の状況が急変した時に対応できる医療システムと、重度精神障害者へのアウトリーチがある。これは、良心的で熱心な医師や看護師、PSW等の専門家がいれば整備できるというものではない。また、その機能を一法人で兼ね備えることができるものでもなく、精神科医療システムや地域精神保健福祉システムの抜本的な改革抜きに語ることができない。

麦の郷は、脱施設化を唱えつつも病院敷地内のグループホーム(ケアホーム)や、精神科病院病棟転換型居住系施設を進め、精神科病院への「囲い込み」を強固なものにしようとする精神保健福祉行政に流れがもつ危険性を、障害者、地域住民に伝え、精神科医療システムや地域精神保健福祉システムの抜本的な改革を目指す。

麦の郷は、「麦の郷は、全ての人々が人格を高め、誇りある人生を送ることが出きる実践を進める」ことを哲学の一つとする。今、麦の郷が直面する課題は、和歌山で精神障害をもつことが不幸とならないための地域を、住民と協同し創り上げることである。

(やまもとこうへい 麦の郷障害者地域リハビリテーション研究所)