「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年7月号
1000字提言
カルネアデスの舟板
~難病医療法成立
青木志帆
「カルネアデスの舟板」という、古代ギリシャの哲学の命題があります。船が難破し、乗員が全員海へ投げ出された。そこへ、1枚の板が流れてきたので1人がこれをつかんだ。ところが、もう1人つかむと板は沈んで2人とも溺れてしまう。そこで、先につかんだ男は、あとからつかんだ男を突き飛ばし、水死させてしまった。この男を殺人の罪に問えるか。これは、刑法学で「緊急避難」の一例としてもよく使われ、法学をかじった者にとっては有名な話です。
さて、今年5月23日、日本の難病対策制度の40年ぶりの大改革として、難病医療法、改正児童福祉法が成立しました。報道では、医療費が助成される病気の数が、現在の56疾患から約300に拡大する、と伝えられています。
ただ基本的には「ちょっと広く、だいぶ薄く」です。広げるといっても、「治らない病気」は何千とあることを考えると、300という数字は氷山の一角。さらに、拡大後の全部の病気につき「重症度分類」という基準が新設され、これをクリアしない患者は原則として助成対象から外れてしまいます。
2013年12月、この話が具体化するのと同じタイミングで批准承認された障害者の権利に関する条約が、支援の漏れがないように「障害」概念を可能な限り広く捉えようとしていることとずいぶん対照的な印象を受けます。ただ、多くの患者は、この法律を歓迎しています。「自分の負担が増えても、助かる人が増えるなら」と。
少ない財源をみんなで分け合わなければならない、でもどこかで線を引き、誰かを蹴落とす罪悪感、さらには「そこ」から外れたら死に直結する切迫感まで、難病対策制度は「カルネアデスの舟板」の状況とそっくりだな、と思っていました。数年前まではこの制度の対象外で喘(あえ)いでいたところを救われた者として、この苦渋の「歓迎」はよく分かる部分もあります。
冒頭の「カルネアデスの舟板」の答えは、「無罪」です。しかし、法が許しても、自分の代わりに誰かが犠牲になるわけですから、指定された患者たちの胸に刺さる罪悪感は消しようがありません。この法律を「歓迎」するそのココロは、そうした罪悪感の緩和かもしれません。
他方で、職業柄、日々障害者権利条約に浸っている身としては、やはりもどかしい思いもあります。どうしたら全員まとめて陸へ上がれるか。ときには必死に今を生きることを考えざるを得ない難病者に代わって、権利条約の趣旨を実現する方法を模索する必要もあるかもしれません。病気のある人もない人もともに生きる社会を作るため、「いっしょに」考え、一つずつ支援を広げ、権利条約に恥じない国にしたいものです。
【プロフィール】
あおきしほ。平成21年12月弁護士登録。弁護士法人青空 尼崎あおぞら法律事務所(兵庫県弁護士会)所属。日弁連人権擁護委員会障害のある人に対する差別を禁止する法律に関する特別部会委員。障害者問題(特に重度障害者に対する支給量問題)の事件を扱う。