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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年7月号

1000字提言

海外暮らしで見えてきたもの

堀内佳美

私は学生のころから、多くの時間を海外で過ごしてきた。アメリカとインドでそれぞれ1年、そしてタイでの暮らしは6年目に入った。もちろん、それぞれの国や地域で、環境はまったく異なるのだが、ひとつ言えることは、海外で暮らすことによって、日本の現状、特に視覚障害者を取り巻くそれが、とてもはっきりと見えるようになってきたということだ。

たとえば教育。日本では、統合教育が推進されるようになって久しいが、まだまだ特別支援学校で義務教育を受ける視覚障害児が過半数だと言っても過言ではないだろう。しかし、一般に途上国といわれる東南アジア諸国では、当然のように統合教育中心で、視覚障害児を受け入れている国のほうが多いくらいだ。設備や教科書などの面から言えば、もちろん日本の盲学生と比較のしようもないのだが、幼いころから一般の学生と机を並べることによって培われる社会性を考慮に入れると、どちらがいいのか、簡単には答えが出せない。

次に、バリアフリー社会のあり方。前の原稿にも書いたが、これはハードとソフトの両面で取り組む必要があることを痛感する。タイにいて、穴だらけの歩道で10歩と行かないうちに声をかけられたり、優先席のない電車やバスで、必ずといっていいほど席を譲ってもらうとき、エレベーターや誘導ブロックができることの限界を感じるのだ。逆に、アメリカに行ったときは、「あちらはさぞ進んでいるんでしょう?」と日本の知人から聞かれたものだが、視覚障害者にとって、あの巨大な車社会は非常に動きにくいと感じていた。

最後に、いろいろな国に住んだり旅行したり、行ったことのない国の視覚障害者と話したりするなかで、私が日本で誇れると感じることを書いておきたい。それは、ボランティアといわれる人たちの層の厚さだ。点訳、音訳、外出支援や代筆、対面朗読。私たちの生活のさまざまなシーンを、一般の主婦や学生、シニア世代の皆さんが支えてくれている。すべてのサービスをボランティアやNGOに頼るのが、国として望ましくないことはいうまでもないが、サピエ図書館からダウンロードした音訳図書に地元のなまりを聴いたり、対面朗読をしてくれたボランティアさんが、資格試験の合格を聞いて、わがことのように喜んでくださるのを見たりすると、日本のボランティア力(?)をうれしく実感するのだ。

結局、どの国で暮らしてみても、パーフェクトな社会など存在し得ないのだと確信する。でも、障害があってこそ見えてくるものがたくさんあるし、それを日本の、障害者を含めたよりよい社会作りに生かすという意味でも、障害をもつ私たちも、いろいろな不便は覚悟の上で、人生のどこかで海外生活をしてみるとよいのではないかと思う。


【プロフィール】

ほりうちよしみ。1983年高知県出身、全盲。現在タイのチェンマイ山間部で、読書と学習の喜びを伝えるNGO、アークどこでも本読み隊を運営。