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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年9月号

当事者からの評価

障壁(しょうへき)について(交通機関(こうつうきかん))

土本秋夫(つちもとあきお)

ちてきしょうがいしゃ には バリアフリー や ユニバーサルデザイン と ひょうげん をしているのですが、はじめてみる きいて なんのことを いっているのか なんのことを かいているのか が わからないです。まずは、そこから かべが あります。

すべての人(ひと)たち ちてきしょうがいが あっても、そとにでる 交通(こうつう)を つかっての いどうを しなければ なりません。 どうしても カタカナが目(め)に はいることが おおいです。すべてを わかりやすく することは とても むずかしいです。日本人(にほんじん)が カタカナだけではない。かんじに ふりがなを ふることも ふくめてです。それまで してこなかった ことですが それは とても むずかしいことです。さべつ かいしょうほう でも かじゅうな(おもたい)ふたんに あたることは さべつに あたらない こともあります。 カタカナの つかいやすい人(ひと) つかいづらい人(ひと) ちてきしょうがいしゃ でも それぞれの かんじかたで わかることです。

じっさいに ラジオ、テレビ と なじんで わかってきている カタカナも あります。IC(あいしー)カードのよびかたは それぞれの ちいきによって カタカナでよんでいることが ふえてきている やっと ひとつ かべが なくなったと おもっても ふたつ みっつ ふえて いくことには ちてきしょうがいの仲間(なかま)たちには おいつけていないことです。

うけいれること ひつようで てきせつな支援者(しえんしゃ)がいて まわりの人(ひと)たちが わかりやすく せつめいを してもらい うけている だけではなく 自分(じぶん)たちからも カタカナで かいていることに かんじに ふりがなが ないときに わかりやすく つたえる支援者(しえんしゃ)かかわって もらっている人(ひと)たちに もとめて いくことも ひつようです。

交通(こうつう)を つかった いどうは なれている ところは いどうが できるのですが はじめて いくところには ふあんだらけです。いま、まえよりか きかいが すすんで もっと わかりづらく さいしょ どんなこと はなしているか なんのことで かいているかが わからないことが ふえてきた。いま IC(あいしー)カードを つかって いどう することが ふえて きました。つかいおわった カード の ゴミを へらす という もくてき も あるかも しれないですが バリアフリーと いっても つかいづらくて どこが バリアフリー(かべが なくなった)なのか ちてきでは わかりづらいです。ちてきしょうがいしゃが わかりづらくなること もある。

IC(あいしー)カードを つかうこと 札幌市内(さっぽろしない)や まわりでの ちかてつ バス JR(じぇいあーる)バスでも つかえますが いま 入所施設(にゅうしょしせつ)から でて いきなりIC(あいしー)カード つかうことは むずかしい ことです。入所施設(にゅうしょしせつ) でるまえから がいしゅつは カードが つかえるガイドヘルプサービスの支援(しえん)をつかって ちいきで こりつしないことです。

入所施設(にゅうしょしせつ)でなく、ちいきでも こりつしている 仲間(なかま)たち つかいかたが わからないままに なっている。ふあんだらけに なるのは とっても つらいことです。すこしでも ふあんな ことは なくして いくことも かべを なくす ことに つながる のではないでしょうか。 これがすぐに、かべや つかいやすくなる ことは ないけれども つたえて かんじてもらい、それが ちてきのしょうがいしゃ の ことを りかいする ことにも つながること しんじている ところです。

いま しょうがいしゃけんりじょうやく ひじゅん をした。これは けんりじょうやくに なるまえから こえ や からだを つかって 運動(うんどう)をしてきた せんぱいの仲間(なかま)が やってきたことで いまだれもが サービスや制度(せいど)つかえるように なってきたこと。さらに つかえるように するためには 自分(じぶん)たちが すこしでも つたえることが あれば つたえていくこと です。自分(じぶん)も ちてきの しょうがいを もって いままで すこしでも 運動(うんどう)を やってきた ということで 社会(しゃかい)が かわっていく、わかって もらいたい。 ごうりてきはいりょが なにか これからも つたえていくことが ひつようです。つたえて わかるまでは 時間(じかん)が かかることです。交通(こうつう)でも つかっていいところ わるいところを つたえることも ひつような ことです。自分(じぶん)たちが つたえきれない ところは つぎの仲間(なかま)たちが つたえることが これから ひつようです。

まえにも かいたと おもいますが 自分(じぶん)だけがつかいやすく なればいい ということでもない。こうれいしゃ ちいさい子供(こども)を つれた女性(じょせい)、北海道(ほっかいどう)いがいの人(ひと) がいこくの人(ひと)たちにも つかいやすく なることです。自分(じぶん)の おもいは しょうがいしゃけんりじょうやくが あっても すぐには ならないし さべつ や ぎゃくたいが なくならないことですが、自分(じぶん)たちのこと わかってもらい すこしでも りかいを してもらい ともに いきる社会(しゃかい)に むかう ことです。しょうがいが あっても ガイドヘルパー や ひつようで てきせつな 支援者(しえんしゃ) を つかいながら わかりやすいじょうほう をうけて こうつう を つかって それぞれ いきたい ばしょ それぞれの したいこと の たっせいかんを もって いきたいです。しょうがいしゃで あっても むずかしいから つかえなくする のじゃなく しょうがいの こと しってもらい ひとつでも わかりやすく していくことで かべが なくなって いくこと つかいやすく なっていくことです。

かべを つくったのも なくすのも人(ひと) です。そのことを きづいて もらいながら 人(ひと) と 人(ひと)で つながって いくことです。

(ピープルファースト北海道(ほっかいどう)会長(かいちょう))