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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年9月号

文学やアートにおける日本の文化史

芸能と特殊能力

安田登

能楽師友枝喜久夫の舞う「弱法師」

友枝喜久夫(ともえだきくお)という能楽師がいました。

「もう観るべき能楽師はいなくなった」と能を観ることをやめていた白洲正子(しらすまさこ)さんが、友枝喜久夫師の舞う能に出会ってから再び能を観出したという話もあります。

亡くなったのは1996年。私もそのお姿を何度も舞台で拝見しましたし、舞台をご一緒させていただくという幸運に恵まれたことも数度もありました。

実は、最初にその舞台を拝見したのは実際の舞台ではなくテレビの画面でした。能という芸能は、テレビや映画、あるいは録音されたものでは、その良さがほとんど伝わりません。しかしそれでも、舞台狭しと縦横無尽に舞うその姿に感動しました。

そのとき私はまだ能の世界に入る前で、能をあまり観たことがありませんでしたし、観ても感動をしたこともありませんでした。それどころか、能というものは退屈な芸能だと思っていたのです。

それが、友枝喜久夫師の舞台をテレビで拝見してから一変しました。

能という芸能では面を使いますが、目の穴がとても小さいために舞台から落ちる危険性を常にはらんでいます。ですから、舞台を縦横に使って舞うことができる人はそうそう多くはありません。しかも、私が拝見したときは友枝喜久夫師はすでに70歳も後半。若いとはいえない年齢です。それなのに若い能楽師ですらここまではできないだろうというほど、大きな舞をされていたのです(後で観直すと実際にはそうでもないのですが、とても大きく見えました)。

演目は『弱法師(よろぼし)』。

弱法師と呼ばれる盲目の少年が主人公(シテ)の能です。

人々が「日想観(じっそうかん)」をするために天王寺に集まっているその中に弱法師もいます。「日想観」とは沈みゆく夕陽を拝み、その夕陽に阿弥陀様の極楽浄土を想念(そうねん)するというものです。

弱法師は夕陽を拝んでいるうちに、難波の美しい風景が心の眼に見えてきて、まるで目が見える人のように、舞台上をあちらに行き、こちらに行きつつ難波の景色を謡い、舞います。が、突然、人々に行き当たり、まろび漂い足元もよろよろとなるのです。

日想観の力によって突然見えるようになったときの自由な動き、そして、また突然見えなくなったときのまろび漂うありさま、その自由闊達な表現にテレビなのに釘付けになりました。

そして、能の世界に入り、友枝喜久夫師にお会いしたとき、さらなる衝撃を受けました。友枝喜久夫師は目を病んだことによって半ば失明状態だったのです。能では面を付けているために、その人が盲目なのかどうなのかは全くわかりません。あのテレビを観たときも、まさか友枝喜久夫師が失明状態であったということは全く知りませんでした。

目が見えていないにもかかわらず、舞台上を縦横無尽に舞い、多くの人を感動させる。いや、「にもかかわらず」というのは違います。目が見えなかったからこそ、多くの人に感動を与える舞を舞うことができたと言い換えるべきかもしれません。

盲目の樂師の能力

古代中国でも楽師は盲目の人が多かったようです。彼らは「瞽師(こし)」と呼ばれました。「瞽」とは盲目という意味です。

「盲目の人は耳がいいから音楽家になった」という人がいますが、そうは言い切れないことは皆様のよくご存知の通り。私も身内に盲目の方がいたので、その友人の方たちともよく会いましたが、耳がいい人もいれば、そうでもない人もいる。盲目の人が楽師になったのは、そのような理由ではなく、もっと深い理由があったのです。

ちなみに、さっきから音楽家といえばいいところを「楽師」という言葉を使っているのは、何も格好つけているからではありません。正確にいえば「楽師」は音楽家ではありません。そして、「楽」も現代私たちがイメージする音楽とはだいぶ違うようです。

戦前まで使われていた漢字の「楽」は「樂」と書かれます。この字は「木」の上に「白」が乗るところまでは、今の漢字と同じですが、「白」の周りに「幺(糸)」が二つついています。この字は大きなでんでん太鼓を表す漢字で、「幺」はその振りバチの形を示すといいます。

そして、木の上の「白」がでんでん太鼓の太鼓の部分なのですが、この字がちょっと怪しい。漢字学の泰斗である白川静氏の辞書で「白」を引くと、これは白骨化した頭蓋骨(されこうべ)の形だと出ています。

それならば、この「樂」の字は、木の上に人の頭蓋骨を乗せた形だということになります。

「頭蓋骨を太鼓にするなんて野蛮だ」と思われるかもしれませんが、実は、頭蓋骨を太鼓にするということは世界中に行われています。しかも、その頭蓋骨の太鼓に張る皮は人間の皮であることが多いようなのです。また、誰の頭蓋骨でもいいというわけではない。太鼓として選ばれる頭蓋骨は英雄のものが多い。

英雄の頭蓋骨と英雄の皮で作った太鼓を打つことによって、英雄の霊をここに招き、そしてその力を得ようとしたのです。

古代の「樂」とは、人を楽しませるものではなく、霊や神をここに招くためのものであり、そして、その能力を持つのが「瞽師」、すなわち盲目の楽師だったのです。

瞽師と孔子と琵琶法師

神や神霊を招くことができるくらいですから、「樂」はその他にもいろいろなことができる万能の装置です。

たとえば戦場においても「樂」は重要な働きをしました。具体的にどのようなことをしていたかはわかりませんが、少なくとも戦勝祈願のような抽象的なことではなく、もっと重大な、そして直接的な役割を楽師たちは担っていたようで、その技法は国家機密として秘されていました。

また、「樂」によって病を癒すということもされていました。楽師は殺戮(さつりく)者でもあり、セラピストでもあったのです。

そして、そんな「樂」を操っていたのが、瞽師たちであり、そんな瞽師の能力の源泉が盲目という障害でした。

古代中国において、私たちが現在「障害」と名づけているさまざまな身体的・精神的特異性は、決して障害ではなく「能力」として位置づけられていました。

瞽師とも交流のあったのが孔子ですが、その孔子が、理想的人間像とした君子。この「君」という字はもともとは「せむし」と呼ばれていた「佝僂(くる)」の姿を表すと言われています。孔子自身も、ある書物によれば、人並み外れた大男として描かれていますが、ほかの書物では「佝僂」の小人であったことを暗示するような書き方がされています。少なくとも、いわゆる「ふつう」の人ではなかった。

また、人が聞けない音や声を聞く人という意味の「聖」の字は、おそらくは盲目の人を意味する字であったでしょうし、人が見えないものや未来を見ることのできる人を表す「望」の字は、おそらくは聾の人を表す文字でした。

むろん、そのような特殊能力は嫉妬の対象になります。そこで、その能力を持っていない人は、自分たちを基準としてその人たちに「欠落者」の烙印を押し、自分たちよりも下に置こうとします。

アインシュタインが、ADHDや学習障害の症状を持ち合わせていたことはよく知られています。それらも、実は「障害」ではなく、特徴のひとつなのです。

また、その特殊能力を奪おうとする人もいます。たとえば小泉八雲の『耳なし芳一』は、そのような物語として読むことができます。

平家一族の霊を招いた芳一の琵琶は、古代中国の楽師、「瞽師」の技を思い出させます。芳一は、琵琶によって神霊を招くという神技を持った盲目の琵琶法師だったのです。

芳一の体にお経を書いた住職の言葉を原文で読めば、善意の裏に嫉妬と悪意があることは明らかです。住職は、芳一の耳にお経を書き忘れることによって、わざと芳一の耳を奪ったのではないかと疑われるのです。

耳といっても聴力を奪ったわけではありません。しかし、耳を奪われることによって聴力が大きく変化することは、耳に手を当ててみれば明らかです。手を当てたときに聴こえる音と、外したときに聴こえる音との間には大きな違いがあります。

聴力が弱まった芳一は、もう以前のような神霊を招く演奏をすることはなくなりました。耳を取られた芳一に住職は言います。

「まあ、喜べ(Cheer up)。もう二度とあんな訪問者に煩わされる事はない」

芳一は神霊を招くことができなくなり、神技をもつ演奏者から、凡庸な演奏者になったのです。

(やすだのぼる 能楽師)