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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2014年9月号

列島縦断ネットワーキング【福島】

「はじまりの美術館」がはじまりました

岡部兼芳

「誰もが表現者」

2014年6月1日、福島県の猪苗代町に、はじまりの美術館はオープンしました。美術館設立のきっかけとなったのは、伊藤峰尾さんという一人の利用者さんの作品です。

当法人(社会福祉法人安積愛育園)では、利用されている皆さんの日中活動の選択肢の一つとして、創作活動を実施しています。外部に向けて発信する際の名称をunico(ウーニコ)と呼んでいます。unicoは、イタリア語で「唯一」「個性的」「ひとつ」という意味で、そこから転じて「たいせつな」という意味もあるそうです。入所施設の日中活動として、作業に馴染めない方を中心に創作活動を始めたのが平成9年。現在では、児童施設を含む5つの事業所でさまざまな取り組みが行われています。活動の趣旨は、その方に合った活動で、日々をより豊かに過ごしてもらいたいというもの。私たちは利用される皆さんの声に耳を傾け、表情に目を凝らし、安心して過ごせる居場所をつくることが大切だと考え、取り組みを行なっています。

もともと支援員である私は、そうした活動の中で生み出される表現に身近に接する中で、さまざまな感情を呼び起こされ、ものごとの見方が変わる経験をしました。福祉事業所内で繰り広げられるさまざまな表現を目の当たりにして、私たちは「もったいない、もっと多くの人に知ってほしい!」という思いに駆られました。そこには、人を惹(ひ)きつける魅力とともに、「誰もが表現者」だという気付き、そして、自分たちが現代社会の閉塞感を打ち破って乗り越えていくための、さまざまなヒントやパワーが溢れている、そう確信し、小さな作品展を開き、公募展にも応募するようになりました。

当時、活動は狭い部屋でメンバーも入れ替わりながら、作品展は地域の催事場やホールなどを借りて数日間の決まった会期のみの開催、という状況だったため、のびのび創作ができるアトリエや、いつでも作品を見てもらえる場所がほしい、という話をしていました。そのようなさなかの2008年、全国障害者芸術・文化祭滋賀大会で実施された公募展で、伊藤峰尾さんの作品が入選したことをきっかけとして、2010年にはパリで開催の作品展に参加することになりました。アール・ブリュット・ジャポネ展です。

パリでの作品展開催と並行して、海外で高まる作品の評価を、国内でも定着させていこうという話し合いが関係者で進められ、その一つの方策として、国内で10か所程度のアール・ブリュット美術館を設置していくという構想がまとめられました。当法人も創設のための会議から参画することになりました。

東日本大震災を経て

美術館の開設に際しては、新築の物件を建てるのではなく、地域の価値ある建物を改修して町並みの保存も同時に進めるというガイドラインが確認されました。物件をリサーチし、整備の話を進めようかという、2011年3月11日。東日本大震災が起きました。

震災後、ここ福島県では原発事故による懸案事項は引き続き、先の見えない状況が続いていますが、高線量地域を除いた各地では復旧作業が進み、人々の生活は日常を取り戻したようにも見えます。

その一方で、被災地では「地域がもともと抱えていた問題」が震災前に増して顕在化しているといわれます。加速する少子高齢化、地域コミュニティの疲弊、失われつつある歴史や伝統…。地域が長い年月をかけて培ってきた文化(文物・記憶・関係・歴史)は、その土地の財産であり、そこに住み継いできた人々の生きた証とも言えます。それらが物理的にも、伝承的にも途絶えつつあるというのは、とてももったいなく、寂しい限りです。そういった状況が被災地域では広範囲に進行しているのです。

そんな中、今「アート」の力が注目を集めています。「アートによる地域の再生」という言葉を耳にするようにもなりました。地域にもともとある資源を、アートを媒介として新たな切り口でとらえ直し、地域を掘り起こすというもので、各地でさまざまな取り組みが展開されています。また、障がいをもつ方の優れた芸術表現も「アール・ブリュット」や「アウトサイダー・アート」など、「アート」という文脈の中で国内外での関心が高まっています。先に述べた、アール・ブリュット・ジャポネ展は、その起爆剤になっています。

「誰もが集える場所」を目指して

震災から丸3年となった2014年、私たちは日本財団さんやカイカイキキさんの支援を得て、猪苗代町で震災を持ちこたえた「十八間蔵」という大きな蔵を美術館へと再生することになりました。築約120年と言われるこの蔵は、長さ十八間(約33メートル)という見事な材木を用い、建設当時は酒造蔵として、戦後はダンスホールや縫製工場として、町の人々に親しまれ、ともに年月を経てきたとのことです。

蔵の改修にあたっては、無有建築工房さん設計のもと、地元会津田島町の大工さんの手により、釘を使わない建設当時の手法で、蔵がもともと持っていた魅力を生かした再生がなされました。「この蔵がまた蘇るのは本当にうれしい」そう言っていただけたことは、単に古い建物の再生ということではなく、大切な思い出を取り戻すきっかけだったり、次の世代に価値を引き継ぐ意味もあり、時代を超えて建物が人々や地域をつないでいくことだと感じています。

さらに、この場所が地域の方々に活用され、生きた場所になるよう、コミュニティデザインで知られるstudio-Lさんの協働のもと、町内の皆さんやアートに関する有識者の方々を訪問しての聞き取りや、意見交換会「寄り合い」を実施してきました。美術館の開館をきっかけにして、どんなことができるか。寄り合いでは、話し合いの中で出されたアイデアを、参加された皆さん自らが具体化するべく作戦が練られていきました。オープニングに際しては、地元の味を次世代に引き継ぐ「ひし巻き(ちまき)」づくり教室や、地元の自然素材をいかした土で絵を描くワークショップを実施したり、開館の除幕式のための大風呂敷を、町内の皆さんから譲り受けた布で一緒に縫いあげたりと、文字通り一緒に美術館を作ってきました。

現在、開催中の開館記念企画展「手づくり本仕込みゲイジュツ」では、自らの手を通して、つくり、考えることがテーマとなっています。また、日常の何気ないものやことも、見方ややり方を少しだけ変えてみると、これまでとは違った世界や価値が立ち現れるということにも着目しています。伊藤峰尾さんは、まさにそのことを体現しているアーティストのひとりです。

来館者アンケートでは「こんなもの(歯ブラシ、紙パック、割りばし)からこんな素敵な作品ができるとは思わず感動しました」「ものの見方を変えることの重要さを感じた時間でした」「私も何か初めてみようかなと思いました」といった声が寄せられています。

「アート」や「障がい」と聞くと、皆さんはどんなイメージを持つでしょう?どちらも馴染みのない印象を受けるかもしれません。しかし、実は何も身構えることのないものごとで、私たちの中や身近にあって、私たち一人ひとりの生を豊かにしている、欠くことのできない一部、なのではないでしょうか。

はじまりの美術館は、そういったことを前置きなしにでも、直感的に感じ、体験してもらえるような「誰もが集える場所」となり、いろんな楽しみを皆さんと積み重ねていければと考えています。

(おかべかねよし はじまりの美術館館長)