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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年4月号

1000字提言

「障害児教育」こそがお手本だ

中島隆信

2014年12月、中央教育審議会(中教審)は文部科学大臣に対し、大学入試制度改革の答申を行なった。その内容は、現行の選抜方法は「知識の暗記・再生に偏り、真の『学力』が十分に評価されていない」としたうえで、小論文や面接、集団討論、高校の調査書なども評価の対象とする「総合力」を重視した方式への転換を提言したものだ。つまり、大学入試も「さまざまな観点から人材を評価する民間企業の採用手法に近づく」ということらしい。

何ともおかしな答申だ。まず、専門バカでお世辞にも人間性豊かとは思えない大学教授たちに、こうした学生の総合力の判断ができるとは到底思えない。そもそも、総合力のある人間など世の中にいるのだろうか。豊富な知識を有し、文章力を備え、面接もそつなくこなし、集団行動も得意で、クラブ活動にも積極的に参加する、そんな若者がいたらお目にかかりたいものだ。

企業のいわゆる「総合職」は、理想的にはこうした人材のために用意されたポストなのだろう。社員は採用の段階で「総合力あり」と認定されていることから、企業はやりたい放題の人事異動ができる。なぜなら、経理でも営業でも企画でも海外赴任でも何でもこなし、どのような人間ともうまく仕事ができるはずだからだ。しかし、そうでないことは、現在の企業が多数の鬱(うつ)病社員を抱えていることや、いまだに結婚や出産を機に仕事を辞める女性が後を絶たないことからもわかる。何でもできるスーパーマンなどいないのである。「総合力」をとことん追求していけば、多くの社員は会社を去るしかなくなるだろう。

中教審がお手本とする「民間企業の採用方法」は今後曲がり角を迎えると私は考えている。すなわち、これからの人事では、文字通り「適材適所」の実践が求められる。その典型例が障害者雇用である。たとえば、障害者を「総合職」で雇おうとする企業はまずないだろう。だがそれは差別ではない。むしろ差別をしないために、障害者にはその能力に適した仕事をしてもらうのである。本来、これはすべての人材にいえることではないだろうか。空気が読めない人に営業は難しいが、製品開発には向いているかもしれない。ここで人事を間違えれば、折角の能力が無駄になってしまうのだ。

このように考えてみると、今回の答申がいかに時代に逆行しているかがわかるだろう。これからの教育に求められるのは、何でもできるスーパーマンを見つけることではない。すべての人の相対的に優れたところ(比較優位)を見いだし、それを伸ばすことだ。中教審は、障害児教育をどうすべきかまず考えてみたらどうだろうか。そこにこそ、これからの教育の向かうべき道のヒントが隠されているからだ。


【プロフィール】

なかじまたかのぶ。慶應義塾大学商学部教授。専門は応用経済学。1960年生まれ。83年慶應義塾大学経済学部卒業、01年より同大学商学部教授。博士(商学)。新刊『家族はなぜうまくいかないのか 論理的思考で考える』(祥伝社新書)。