音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

  

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年4月号

3.11復興に向かって私たちは、今

被災4年を経て思うこと

中村亮

3月11日で東日本大震災発生から丸4年目となります。岩手県視覚障害者福祉協会釜石支部においては、この震災による大津波で8世帯の会員が被災しました。4年の間に3世帯が自宅の改修や新築を果たし、新たな生活をスタートさせています。

しかし、1世帯の方がそれまで住んでいた所から他県へ移住されて生活の再建を図っておられます。また残りの4世帯のうちの1世帯は、一昨年釜石で最初に完成した復興公営住宅に入居されました。現時点で3世帯の方が仮設住宅で生活されていますが、このうち1世帯の方が、今年の夏にも復興住宅に入居されることになっています。残る2世帯の方がいまだに入居する復興住宅が決まっていないという状況です。釜石支部員で、津波で命を失った人はおりませんでしたが、会員外で視覚に障害をもつ人が1人犠牲になられました。

復興の状況ですが、自宅周辺では工事の槌音が絶え間なく聞こえており、新築した建物も3軒、4軒とかなり復興は進んでいるように思われます。しかし、釜石地域全体としての進捗状態は30%程度というのが実感です。

マグニチュード9という未曾有の大地震の発生と、1000年に一度ともいわれる大津波からの避難、被災直後の避難所生活、仮設住宅での生活、仮設住宅での仕事の再開、被災した住宅の改修、治療院の再スタートなど、これまでの人生で未体験なことの連続であり、さまざまなことを考えさせられました。

このような大災害に直面した時に、災害弱者ともいわれる視覚障害者には、さらに大きなバリアが立ちはだかることになります。今回の震災は視覚障害者のみならずすべての人に、災害に対する備えを忘れてはならないことを指し示してくれたと受け止めるべきだと思います。

震災を体験して得た教訓を土台に、時間をかけて視覚障害者が考えておかなければならないことを各方面に訴えていく必要を感じています。移動と情報入手に大きなバリアを抱える視覚障害者にとって、災害時にはバリアが2倍にも3倍にも膨らむことを実感しています。災害発生時における災害弱者の避難支援のシステムの構築、避難所での障害者の確認と福祉避難所への速やかな移動などは、必須な備えとして確立しておくべきです。福祉避難所には視覚障害に適応したボランティアさんの配置も必須条件です。

私の家は釜石港から400メートルほどのところにあります。津波は2階の床上50センチまで達しました。私の住む地域の住宅は、すべて全壊、あるいは大規模半壊の判定を受けているものと思われます。周辺の住宅の95%は流失か、残っても解体されているため、以前は見えなかった表通りからでもわが家が見えるほどで、まるで焼け野原同然でした。幸いにも私の住む地域は居住禁止区域には指定されませんでしたので、2年余りの間に数件の建物が建設されています。これから復興がさらに進むにつれて、さらに多くの建築工事が続くものと思われます。

生活の場として長く親しんできた中心商店街はいまだに復興の兆しさえなく、生活に欠かせない多くの商店、スーパー、金融機関などを利用するには、遠くのお店や金融機関まで足を運ばなければならない状況です。歩いて行けるところではありませんので、移動にはどうしても車両を使わざるを得ない状況です。震災発生2か月後からは被災地障害者ボランティアセンターのサポートにより、買い物や通院などの外出には車による移動支援を受けてきました。大いに助けられました。

しかし、この支援活動も2年前(平成25年10月)で、大幅に縮小されました。その後は、制度としてのガイドヘルパーによる移動支援を受けていますが、この制度では車両の運用はできないということですから、戸惑うことも多々あります。震災後の視覚障害者福祉協会の集まりでは、会員から現在抱えている生活上の問題を出していただき、福祉担当者に伝える機会を持ちました。結果、震災前には設置されていなかった福祉避難所を市内5か所に設けることが25年4月に決定しました。

現在、建設が進められている復興公営住宅に関しても、視覚障害者にとって使いやすい機材や設備の要望も提出しました。完成している復興住宅を見学すると、要望のほとんどは受け入れられていたようですが、入居してさらに出てくる問題もありましたので、随時改善を求めていく必要を感じています。

ときどき外を歩いてみますと、歩道上に工事機器が置かれて道を塞(ふさ)いでいる状態、あるいは津波で破損した点字ブロックも見られます。また、工事現場前の歩道はフェンスで狭くしきられており、歩道と車道を区別する縁石も撤去された状態で、ともすると知らずに車道を歩いていることもありました。震災前のように、視覚障害者が安心して歩ける環境にはまだ遠い状況というのが率直な感想です。気づいた点から改善を図っていただけるよう、福祉行政担当者には私たちの声を届けていかなければならないと思っています。

4年の間、視覚障害者の仲間、あるいは全国から集まって来られたボランティアさんたちの大きな支援により、今日まで生きてくることができました。まだまだ復興途上ではありますが、多くの方々が被災地に気持ちを寄せていただいていることを生きる糧として前進していきたいと思っています。

(なかむらりょう 岩手県視覚障害者福祉協会釜石支部長)