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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年5月号

食生活から培ってきたわが人生とは…

関根義雄

たとえ障害者といえども、差別無くきょうだい同様に

こんにちは。関根義雄と言います。

私の障害は、「脳性まひ」であると聞かされてきた。物心ついた時には、同じ障害をもつ仲間が入園している北療育園(現在は都立北療育医療センター)でのリハビリと共同生活に明け暮れていた。

家族は両親と3人の姉に、祖父母という大家族。特に祖母は明治生まれの人で、とにかく厳しい人だった。3人の姉に混じって「障害」が有る無しに関係なく、しつけられたものだ。そんな家庭環境だったので、「台所」という所はどういう所であるかということを教えてもらった気がしている。

北療育園での生活は、お盆と正月以外は外出さえ許可されていなかったので、主治医から「歩けるようになれば退園できる」と、その言葉を励みに生活していた記憶がいまだに残っている。

退園が決まり、同じ年代の仲間との生活が染み付いた生活から早くなじませるため「家族の和」に入ることを園側から指導されたそうである。そんなことを知るすべもなかった頃、こんなことが早くも起きてしまった。

養護学校(現在は特別支援学校)から帰宅後、夕食の支度をしている母をじっと見つめているところを祖母にみつけられ「男子たるものがお勝手に立つものではない!」と叱られたものだ。

その一方、お彼岸やお盆などの仏事には必ずと言っていいほどご先祖を迎えるために五目寿司やおはぎのお供えものを下準備しているところを同じように見つめていると、「お前もそこでじっと見ていないで、手伝っておくれ」と言われたものである。当時は都合のよいことだけかと?不満さえ感じたものだが、当たり前に「しつけ」ということを教えてくれたことも事実であった。「お前はこれからもたくさんの人さまに面倒をかける身分なのだから、その分できることは自分でやりなさい」と、それがいまだに残っている。

地域で支え合うまちづくりとは

自立生活をしてから18年を迎える。千駄木地区にはちょうど6年ほど前に越してきた。私は根っからの下町育ちなので周辺には「谷中銀座」があり、よく帰宅途中には商店街で買い物していると店先の値札が立ち並らぶ上、購入した際にはさらに「おまけ」をしてもらえるのでうれしい限りである。最初は「何でこの車いすのお兄ちゃん、毎日来るのだろう?」とよそよそしく見受けられたが、今ではおつかれさま!と気軽に言い合えるような暮らしの変化も感じている。「八百屋」と書いて「やおや」と呼ぶが、実に旬の素材やその食べ方まで教えていただけるので、大変ありがたい。これこそ「生きたレシピ」となっている。

たとえば、季節の出始めた野菜を目にした時、店主曰(いわ)くその野菜の切り方や下処理の仕方、味の付け方や盛り付けに至るまでの講釈を聞くのも楽しみのひとつとなっているし、自宅にはレシピ本といったものは存在しない。その「味」を見るにはそのまま食べるのが一番。野菜本来の甘みやえぐみを利用し、それにどう「味」を付け足していくかが家路に近づくにつれ自分の頭の中で浮かんでくるものだ。

身体のことを考えてできるだけ「うす味」に

10年ほど前に不摂生の生活が引き金となり、地域の内科医に駆け込み、診断の結果「高血圧症」であることが分かり、それ以来、降下剤の服薬は欠かせない。ただでさえ医師からは「味はうすめを基本に、ラーメンを食べる時にスープは飲み干すな!」と言われている。もともとはうす味を好む方なので、特に否定的にではなく、むしろプラス思考と受けとって「だし汁」にもこだわってみた時もあった。ただ淡泊な味に偏らないために、たとえばスーパーで値引きされたお刺身を購入した際には、わさび醤油だけでは飽きてしまうので、付いている大根のつまを工夫し、海鮮サラダ仕立てにして、ドレッシングはどの家庭にもある調味料を適宜に合わせて(でも基本はうす味)、いろいろな食べ方で楽しむのも自立生活の醍醐味である。

ヘルパーへの指示の出し方については?

調理は私に代わって介助者がしてくれるので、初めて入っていただく時には必ずと言っていいほど私の方から「何か自分で作ったことがあるか?」とたずねてみる。すると「卵焼き」とか「野菜炒め」などの返事が返ってきた時の対応と、「何にも作ったことがない」と返ってきた時の対応が変わってくる。ある程度、作ったことがあれば「ではそれを作ってみようか。でもうす味でね」と頼めるし、何にも作ったことがなければ、それこそ大根という野菜の皮のむき方だとか、だしの取り方を知ってもらうことから指示出しとなっていく。最初はぎこちない手つきでも次第に慣れていき、調理器具にしても皮むきはピーラーを使い、おろす場合は、おろし金やキッチンにおいてある調理器具を自在に使いこなせるようになっていく。

自立生活プログラムとは…

自立生活のことが出たので、「自立生活プログラム」のことをちょっと触れておきたい。

確か「国際障害者年」を迎えたころからアメリカにおける「自立生活運動」を研修するプログラム事業で毎年何人かの先輩が海を渡り、自立生活のノウハウを研修し、自らも必要に応じて介助者を使い、帰国して、八王子市に日本で初めての自立生活センターが誕生した。ちょうど30年ほど振り返ってみれば、まだ重度障害者は療護施設に入らざるを得なかった時代があった。

施設では24時間365日、職員によって生活を余儀なく指導され、食事に合わせた時刻に起こされ、着替え、トイレ、洗顔に至るまで生活における介助が職員によって委ねられ、大まかな「日課」が組まれているのが現状である。施設を出たいと思うものなら、職員ならびに施設長を説得せねばならないのが現状である。その勇気は計り知れないが、たとえば、退園後に住む部屋を探すことにしても、時間と能力をつぎ込むことは必至の覚悟といっても過言ではない。「障害者」ということで危ないレッテルを貼られ、部屋そのものを貸さない行為そのものより「門前払い」という状況が続いた。「施設は地域の宝」といったその傾向がいまだに続いてしまっている。

そうした状況から、ピア・カウンセリングと自立生活プログラムは、車にたとえて言えば両輪である。「ピア」は仲間という意味である。「同じ背景を持つもの同士」ということだ。医師と患者、親と子、先生と生徒ということは物心のついた時には関係性ができていた。自分の人生を誰かに依存してきた自分にとって、対等に時間を分け合い、相手のことを否定せず聞きあうことによって、本来の自分の姿を回復していくための講座である。

また、講座の中には「自立生活プログラム」という、具体的に親や施設長(場合によっては同等の権利を任されている者)に扮してもらい、説得するという設定で時間を決めるものである(寸劇ともいう)。説得にはこだわらず、そこに至るまでの言動やいきさつまでを話し、その寸劇を見ていた参加者から良かった点と、自分だったらこう説得するなどの言葉をかける、といったことを繰り返していく中で、意識が芽生えていく。

また、福祉手当等の手続き、場合によっては生活保護の申請など、一人で役所や関係機関に手続きをしなければならないのである。ヘルパーが必要であれば、役所の関係部署に手続きをすることもあるだろうし、場合によっては窓口で交渉することもあるかもしれない。最初はだれでも身体も頭も消費するものだ。

私も18年前に親元を離れ、部屋を借りて自立生活を始めた。当時は、若かったので「自分でできることはやってみよう!」と意気込んでみたものの、やることなすことが健常者の2倍から3倍、4倍と時間だけではなく、体力も使い切ってしまい、結局のところ1か月で寝込んでしまったこともあった。

そこから自分には何ができないのか、どこに介助者を入れていくべきかを判断して、その頃はまだ布団しか置いてなかった部屋に、オーナーと障害福祉課の職員に足を運んでもらい、自分の困っていることを話した上で文京区の福祉制度を使うことになり、それ以来、自分なりの生活ができてきた。

前記はほんの一例にしか過ぎず、まだまだ親元や施設で暮らしている仲間がいることを認識しなければならない。

自立生活センターは介助派遣だけではなく、障害をもつ人たちによるピア・カウンセリングや自立生活が体験できる「体験室」が設備され、宿泊しながらプログラムを組み、介助者との指示の出し方や野菜の切り方、味付けに至るまで、こと細かく指示を出さないと介助者は動いてもらえないことになっている。

しかしながら最近では、利用する人も身体だけではなく、知的の人、精神の人も増えてきた。これからは「相談支援事業」も担うセンターが多くなっていく一方、障害当事者だけではなく、その家族の支援や情報を共有していくような傾向になりつつある。

私たちは、家族からの「自立」、施設からの「自立」を掲げてきたはずなのに、いつの間にか家族と向き合うことに戻ってしまいそうな気配も見え隠れしている状況といえる。

「食材」を探しに出没することも

たとえば「この野菜は無農薬」とか「魚はやっぱり○○産でなければ…」というこだわりはない。が、「調味料」には私なりのこだわりがある。

1.レアな物は歩いてでも探すべし!

素材にこだわるより味でこだわれば、迷いがなくなると思うし、食べず嫌いがなくなっていくものである。味とは口に未と表すが、一つの味ではなく、刺身はわさび醤油だけではあきてしまうので、時にはサラダ風仕立てにこしらえてみるとか、好みの味にしてみるのをお薦めする。市販のドレッシングや香辛料だけではなく、薬味を適宜して好みの味を調合するのも楽しみの一つである。詰め替え用の調味料を購入したい時に、わざわざ行くのではなく、たまたま散髪した際、立ち寄ったスーパーで探していた時に「出合える」(私なりにはレア物と表現しています)ことの快感は、まさに何よりも得難いものがある。

2.一極集中の買いは絶対に避けるべし!

たとえば焼きそばを購入する際も、スーパーでは3玉1袋で売られていることが多く(もちろん1玉、ソース1袋と売っていることもあるが)、あえて言わしていただければ「餅は餅屋で」というように自家製の麺を作っている店で購入し、家に帰って余り野菜とお好みの調味で味つけすれば満腹感もあるし、独自のレパートリーが広がる。

3.ヘルパーによって献立ができる

自立生活を始めてから18年目を迎え前にも触れたが、介助者の得意分野を伸ばしていくことで食事そのものが楽しくなっていく。食事を作る場合でも、米を計量し、味噌汁の具材は冷蔵庫の野菜室に入っている具材でも、切り方、作り方、味噌やだし汁の入れ方も、盛りつける「器(うつわ)」に至るまで人それぞれである。一緒に食べてくれる時もあるし、お弁当を持ってくる介助者(コンビニで購入する)もいるが、自由にしてもらっている。

幼い時のあの祖父母の一言がなかったら…

私には訳あって3人の祖父母がいて、今のようなスーパーやコンビニへ行けば食べたいものが購入できた時代ではなかったので、それぞれの家庭の「味」があった。こだわりもあったし、「郷に入っては郷に従うべし!」といったものだった。

すでに祖父母も両親も他界してしまったが、幼い時にこしらえてもらった味やその家の味がどこか懐かしくもあり、その味に少しでも近寄ることで、「食」への探求がいまだに残っているのではないかと思っている。

(せきねよしお 障害者の生活保障を要求する連絡会議(障害連)代表、スタジオIL文京理事)