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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年5月号

1000字提言

当事者の気持ちになる難しさ

香山リカ

「精神障害をもった人を差別していますか」と聞かれたら、すぐに「とんでもない!差別がなくなるよう願ってますよ」と即答するだろう。

しかし、本当にそうなのだろうか。最近よく考えてしまうことがある。たとえば、診断書を出して仕事を休むことになったうつ病の人が、「気分転換に」と旅行に出かけたとする。もちろん、会社の上司や同僚は「会社を休んで旅行に行くなんて」と不快に思うかもしれない。私も診察室でつい、「旅行に行けるくらいなら仕事に行けるんじゃないですか?」などと皮肉めいたことを言ってしまう。

とはいっても、初診のときには明らかにうつ病の診断基準を満たすような症状が出そろっていたのだ。だとしたら、やはりその人はうつ病のはずなのに、「患者らしくないから」といって批判するのは、やはり差別なのではないだろうか。「うつ病なら患者らしくすべきだ」と思い、それに目の前の人をあてはめようとしているのはやはり問題だ。

うつ病であっても、負荷の大きな仕事には行けないが家族同伴の温泉旅行くらいになら行ける、という人がいてもよい。「ゆっくり休んでください」と会社から言われて一時的に気持ちが軽くなり、少し症状が回復する場合もあるだろう。そういった個別の事情に目をやらず、「うつ病という診断書で休んでいるからには、“それらしく”家で静かにしているべきだ」と思うのは先入観に他ならない。精神科医の私がそんなものに縛られているなんて、と反省して情けなくなることもしばしばある。

また、知らないあいだに「私は医者なんだから言うことを聞きなさい」という“上から目線モード”になっていないか、というのも気になるところだ。私は、他の医師に比べたら威厳がなさすぎるくらいないのが持ち味だとは思っているが、それでも「このあいだ出してもらった薬、1日で止めました」などと言われると、つい「どうして?薬を飲まなければ治らないですよ」などと口調がきつくなってしまうことがあるのだ。

もちろん、どんなに寄り添っても当事者の気持ちにはなれない。それは自分でもわかっている。だからといって「しょせんこっちは医者、患者さんの思いなどわかるわけはない」と開き直るのもイヤだ。

それにしても、約30年この仕事をやっているのに、まだこんなことを言っているのはあまりに進歩がない気もする。この分だと、40年やっても50年やっても「医者と患者の適切な距離は…いや、まだわからない」などと言ってそうだ。「石の上にも3年」と言うが、「医者の仕事は30年でも半人前」ということか。ほかのドクターたちはもっと迷わずに日々の臨床をこなしているのだろうか。今度、同窓会で同級生たちに聞いてみようと思っている。


【プロフィール】

かやまりか。精神科医・立教大学教授。北海道生まれ。東京医科大学卒。臨床経験を活かして、現代人の心の問題を中心にさまざまなメディアで発言。専門は精神病理学。近著は『堕ちられない「私」 精神科医のノートから』(文藝春秋)。