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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年5月号

ワールドナウ

南アフリカ共和国ハウテン州の障害者の自立生活を巡る動き

宮本泰輔

はじめに

この地で、ヒューマンケア協会が自立生活プロジェクトを始めて、2年が経とうとしている。JICA草の根技術協力事業として行われているこの事業は、2016年4月に終了する。本稿では、2年間の活動から見えてきた、重度障害者1)の自立生活への道筋と、事業終了後も支えていくための制度づくりについて、簡単に紹介したい。

事業を実施しているハウテン州は、ヨハネスブルグ、プレトリア、といった大都市を抱える、経済の発展した、比較的人口の密集した地域である。また、1994年まで続いた人種隔離政策(アパルトヘイト)のあった時代に形成された、タウンシップと呼ばれる旧黒人居住区が数多く存在している。アパルトヘイトが終わってから20年が経つが、いまだに居住地域は人種ごとに区切られているのが実態である。他方、郊外には新しい分譲住宅が増えており、白人が多数とはいえ、中間層の黒人やアジア系の人たちもそうした住宅に住んでいる。本稿では、特にタウンシップの障害者を取り上げる。

障害者は見かけるが

意外に街中では車いす使用者を見かける。大型のショッピングモールに行けば、電動車いすを使って移動する高齢者・障害者は、必ずと言っていいくらい見かける。タウンシップを歩くと、おそらく多くの人がイメージするのと違って、手動・電動車いすで通りを歩く人もそこそこ見かける。医師の診断書があれば、手動・電動車いすは給付されている。また、南アには、障害者手当があり、額は十分とはいえないものの、月1万5千円2)ほどが支給されている。ソーシャルワーカーもいる、作業所も数は少ないけれどある。

こう書くと、いろいろ整っている国に見えてくるが、実際に地域に深く入り込むと、家に閉じこもっている重度障害者が多い。家にバリアがあればなおさらである。失業率の高いこの国では家族のみならず、近所の人までも障害者手当を当てにしている例もある。

リハビリ病院を退院すると、時々の通院以外には、他の障害者と話をすることがない。作業所に行く移動手段がない。自分が手本としたくなるような「ロールモデル」に出会うことも、まずない。一見すると、ご近所とも仲良く声を掛け合い、家族は支えあっているように見えるが、彼らは地域の中で孤立感を持ち、家族とも静かな(時には激しい)葛藤を抱えていても、それが理解されることはなかった。

この事業では、最初に障害者の掘り起こしから始めた。公立病院のリハビリテーション科に依頼し、自立生活研修に向いていそうな障害者を紹介してもらい、家庭訪問などをして人選を行なった。彼らを最初のメンバーとして、昨年から「サポート・グループ」と呼ばれる障害者同士によるわかち合いの場を持ってもらうことにした。

仲間を持つこと

サポート・グループには、大きな資金は必要ない。本事業で提供したのは、このグループのファシリテーターとなる障害者に技能研修を行なったことと、場所、リフト車の借り上げ、そしてお昼ご飯ぐらいのものである。

しかし、メンバーたちは嬉々として参加した。参加するだけでなく、自分の近所の障害者を連れてきたいと言うようになった。実際、自分たちで手分けをして近所のリハビリ病院に赴き、障害者に声をかけ始めた。中には、道端ですれ違った障害者を誘った者もいる。

何が彼らをそこまで惹(ひ)きつけ、単なる参加者から能動的な構成者に変えていったのだろうか。昨年7月に行われた中間評価で、彼らに、「サポート・グループに参加して、何が変わったか」という質問を投げかけた。すると、次のような返答が返ってきた。

  • 自分に自信が持てた
  • コミュニケーションがうまく取れるようになった
  • ものの見方が変わって、前向きに捉えられるようになった
  • 他の人に自分をさらけ出せるようになった
  • 家族の中で、責任を果たせるようになった
  • 地域社会に溶け込めるようになった。尊敬を得られるようになった
  • 人の話をしっかりと聞けるようになった

筆者も、サポート・グループに参加した人たちから結婚式や親族の誕生日など、お祝い事によく招かれる。そうした場でも、親族や近隣の人から「お前のプロジェクトに参加するようになって本当に変わったんだよ」とうれしそうに言われることがしばしばある。また、障害者自身も、サポート・グループで知り合った、障害をもつ仲間をそうした行事に積極的に呼んでいる。

「地域での自立した生活」では、単に住んでいる場所が地域にある、ということではなく、地域の中でその人が認められ、役割・居場所があることが重要である。また、障害者が孤立することなく、障害者同士で支えあう場も必要である。これらがあって初めて、南アの強い地縁・血縁が生きてくる。障害当事者によるエンパワメントが自立生活の前提として不可欠であることを改めて思わされた。

地域生活のための介助を作る

貧富の差の激しい国では、富める者が家政婦を雇うことが一般的である。家族に障害者がいる場合、家政婦に介助の役割を負わせることも珍しくない。南アの中間層以上では、住み込みで介助者を雇って家政婦の役割も負わせる人も目立つ。当然、介助者も気の休まる間もない。しかし、高い失業率のため、すぐに次の人が見つかることから、そうした中間層以上には、危機感があまりないように見受けられる。

多数を占める貧困層では、大家族で面倒を見ることが多く、それが一種の美徳であるかのように言う向きもある。しかし、介助のために家族が仕事に就くことができず、世帯の貧困が増している側面も否定できない。そのことが障害者本人にとっても、大きな負担となっていく。

日本の介助の経験は、家族でも、ボランティアでもない、職業として確立された介助者を、重度障害者が主体的に使うことで、地域で自立して生きていけることを教えてくれる。

南アでは、HIV/AIDSの分野で「ケア・ギバー」と呼ばれる介助者が地域で働いている。また、NGOレベルで独自に「ホーム・ベースド・ケア」という居宅介護を実施している。しかし、朝晩の起床・就寝の介助だけなど、家族の手助け以上のものにはなっていないとの声もよく聞かれる。また、政府が実施するケア・ギバー講習も、障害者の自立生活に関することは触れられず、医療的な理解が中心となっている。

南アの場合、前述したような、介助に対するイメージがすでにあるため、自立生活のための介助とは何かを理解してもらうために、利用者となる障害者の意識変革がとても重要となっている。

制度づくりへ

最後に、ハウテン州での制度化に向けた取り組みを紹介したい。

昨年1月にハウテン州の課長級の行政官を日本に招聘し、自立生活センターをはじめとする日本の実践・制度を学ぶ機会を提供した。日本の現状を見て、障害者の自立生活を支える地域サービスの必要性を強く認識した彼らは、帰国後、本事業の関係者や筆者を加える形で「自立生活タスクチーム」を立ち上げ、州の独自政策として自立生活センターづくりを支えていく準備を進めることにした。タスクチームでは、州で予算を確保する根拠となる「自立生活政策」の素案を検討している。

予算確保にあたっての大きな課題は、社会開発全体の中で、障害者関連予算がそもそも不足している、そのわずかな予算が入所施設に大きく割り振られている現状がある、介助に関するニーズが把握できていないことから、行政が予算不足を懸念している、などが挙げられよう。この辺りも、日本の障害者運動が培ってきた経験を一層生かすことができるのではないかと、事業終了後の協力も含め、期待しているところである。

(みやもとたいすけ ヒューマンケア協会プロジェクト・マネージャー)


【注】

1)この事業では、パイロット事業ということで、肢体不自由者のみが対象となっている。

2)最低賃金は業種ごとに異なるが、家政婦の場合、月額にして2万円強であることから見ても、この手当は決して高い金額ではない。