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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年6月号

時代を読む68

障害基礎年金の創設

障害基礎年金の創設に厚生省年金局の課長補佐として関わったものとして、その経緯を振り返ってみたい。

「国民年金法等の改正法」が施行されて、障害基礎年金が支給開始されたのは昭和61年(1986年)4月。それよりかなり以前から、障害者の所得保障を求める運動は進められていた。たとえば、昭和56年(1981年)の国際障害者年の理念である「完全参加と平等」を掲げ、脳性マヒ者の団体である東京青い芝の会は積極的に所得保障改善運動を推進していた。

こういった運動の高まりを受けて登場してくるのが、厚生省の板山賢治更生課長の私的研究会であるCP研究会である。更生課職員が事務局となり、学識経験者や全身性障害者を中心とした障害者団体の代表が委員として加わった。この研究会を舞台にして所得保障問題についての議論が戦わされた。

その結果、最終報告書には、「障害福祉年金の額を拠出制障害年金の最低保障額と同額にすること、扶養義務者の所得制限を撤廃すること」という内容が盛り込まれることになった。ここまで前向きな結論が得られたのは、板山課長の障害者の自立を思う強い気持ちがあったからこそである。

その後、所得保障問題の検討の場は、厚生省内の関係各局を横断した「障害者所得保障問題検討会」に移る。検討会では障害手当の大幅改善など福祉施策からのアプローチが試みられたが、予算の大幅増額の壁を突破できない。座長の正木馨総務審議官は「できない理由は百ある。できる理由を一つでも探せ」と職員にハッパをかける。

そんな中から、「生まれながらの障害者が国民年金に加入するのは20歳だが、その時点では保険料滞納期間は全くない。だから、拠出制障害年金を受給できる」という説明が誰からともなく出てきた。この説明は年金保険の理論からは、かなり無理がある。しかし、結論の良さが理論の弱さを覆い隠すという、一つの例である。山口新一郎年金局長も積極的に進めてくれた。

国民年金と厚生年金に共通の基礎年金を導入する「昭和60年年金大改正」の時期であったことも、幸いであった。生まれながらの障害者への障害年金を障害基礎年金という形にすることによって、老齢基礎年金の額と同額(2級障害の場合)となった。結果的には、障害福祉年金の約2倍である。

全身性障害者の所得保障要求から始まった障害基礎年金の創設であるが、結果的には、知的障害者の年金も低額の障害福祉年金から障害基礎年金へと改善された。就労の進展、そして地域生活を支えるグループホームの実現と相まって、所得保障の充実が知的障害者の自立に大きく寄与したことを付言しておきたい。

(浅野史郎(あさのしろう) 神奈川大学特別招聘教授)