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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年6月号

1000字提言

実存的転回

岡島実

上里一之さんは体育大学2年のとき、レスリング部の練習中に頸椎損傷の事故に遭い、首から下を動かすことができなくなった。人一倍体力に自信のあった上里さんは、「障害者」である自分を直視することはできなかった。病室で何度も死を考えたが、自殺するために体を動かすこともできなかった。

そんな上里さんを変えたのは、難病のため同じ病棟に入院していた小学5年生の少年だった。彼の病室にはテレビがないから見せてほしいと看護師に頼まれ、失意の中で気も進まないながら承諾した上里さんだったが、少年と一緒にテレビを見ながら、彼の屈託のない笑顔が強く印象に残った。暫(しばら)くしてその少年が亡くなったことを知らされたとき、上里さんは激しい衝撃を受けた。10数年という短いいのちを懸命に輝かせることで、彼は「生きること」の希望の灯をともそうとしていたのではないか。上里さんは、死を思い続けていた自分を恥じ、与えられたいのちを精一杯輝かせたいと思い直した。

「障害受容」という言葉がある。障害のある自分をありのままに受け容れることで負の自己イメージから解放される過程を表す。一見もっともと思わせる言葉だ。しかし、違和感を禁じ得ない。

障害がある人にとって「障害」は自己のアイデンティティーの一部だ。「障害」を否定的に捉えることは、自分自身の存在意義を否定することに等しい。自己の存在そのものを否定的に捉えれば、人には絶望しか残らない。そこからの転換は、「受容」などという生易(なまやさ)しいものではなく、「絶望」がそのまま希望になるような、丸ごと逆転する発想が必要である。それは「実存的転回」とでも呼ぶべき過程であろう。

沖縄のインクルーシブ社会条例には、次のような注目すべき規定が置かれている(33条)。

県は、障害のある人が自己の抱える課題を主体的に解決する力を取り戻し、又は高めるため、同様の経験を有する障害のある人同士による問題解決のための相談体制の充実に必要な施策を講ずるものとする。

「主体的に解決する力を取り戻し、又は高める」という文言には、前に述べた「丸ごと逆転」の発想が込められている。拠(よ)り所(どころ)になるのは、自分自身の「主体的課題解決能力」だ。それは結局、自分自身を丸ごと肯定するところからしか始まらない。そしてその手助けができる他人がいるとすれば、同じような「丸ごと逆転」の経験を経たことのある人だろう。「同様の経験を有する障害のある人同士による相談体制」は、そうした考えから出てきた。

「当事者主体」などと、言葉にするのは簡単である。しかし、「主体」という言葉の本質に辿(たど)り着くことは、決して簡単なことではない。


【プロフィール】

おかじまみのる。1964年愛知県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。中等度感音難聴の障害を理由とする採用拒否などを経験する。法律を独習し2001年沖縄弁護士会に弁護士登録。主な著作に『裁判員制度とは何か』(生活書院)など。