「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年6月号
ワールドナウ
ルーマニアの障害児グループホームの子どもたち
落合佐知子
はじめに
ルーマニアは、人口約1,994万人、国民一人当たりのGDPは8,910ドルの共和国である。1989年のルーマニア革命によって社会主義から民主主義へと転換し、2007年にEUに加盟。筆者とこの国の障害児グループホームとの関わりは、2005年に青年海外協力隊として派遣されたことから始まった。ルーマニアの児童保護政策の歴史的経緯と障害児のためのグループホームについて紹介する。
深刻な孤児問題と児童保護政策の改革
1989年の革命以降、社会主義時代のルーマニアに関する情報が公になる中、深刻な孤児問題にも多くの関心が集まった。2003年、欧州委員会はルーマニアのEU加盟準備状況に関する定期報告書を発表したが、その改革課題の一つとして、ロマ族に対する差別の縮小と児童の権利保護をあげている。
その要因の一つに、社会主義時代に取られた国力増強のための人口増加政策があげられる。45歳以下の女性は少なくとも4人の子どもを産むことが推奨され、独身の男性には独身税が課せられた。1966年には人工妊娠中絶や避妊具の販売が禁止され、その後、20年間で安全でない中絶が原因で亡くなったルーマニア人女性は約2万人と推定されている。また、育児放棄等により約10万人の児童が施設で保護されたとも言われている。保護施設では、HIVに汚染された血液の輸血や注射針の使いまわしによる小児のHIV感染が蔓延し、障害児は出産後、病院に置き去りにされた。
National Catholic Reporter(1995)にある施設訪問記録には「子供4~5人がひとつのベッドで横になり、1年間の死亡率は44~50%だった。…そこで子供たちは食べ方や遊び方を学ぶことはなかった。80人の子供に対し一人のケアワーカーが配置され、入浴といったシンプルな要求すら満たされていれていなかった」とある。このような劣悪な環境の施設から逃げた児童の一部は、マンホールの中に住み「マンホールチルドレン」と呼ばれた。
ルーマニア政府は状況改善のため、1997年の政府緊急条例によって児童福祉政策を地方分権化させた。また、2004年には児童保護の理念(The Philosophy of Child Protection)を改定し、それまで児童保護は国家が唯一の責任者だったが、児童扶養責任を第一に児童の親権者、第二に地域や地方行政機関とした。親権者の元で養育ができない児童は、里親や小規模な施設でできるだけ家庭的な環境で育てられるようになった。34か所の国営孤児院が閉鎖され、徐々に施設の小規模化が進んでいった。
障害児グループホーム
筆者の派遣先の内務省サトマーレ県社会福祉子ども保護局のファミリータイプの家カサアナ(アナの家という意。以下、カサアナ)は、2003年に設置された障害児のためのグループホームだ。
各県に設置された社会福祉子ども保護局(以下、子ども保護局)は地域の社会福祉・児童福祉政策の執行機関である。児童福祉に関しては、保護施設の管理運営、里親の仲介や児童虐待問題への介入等を行なっている。サトマーレ県子ども保護局は県内18か所(内13か所はグループホーム)を管轄している。
カサアナは、市内の中心地から車で10分ほどの閑静な住宅街の中にあり、2階建てのごく普通の一軒家だ。1階に寝室2か所、居間1か所、浴室兼トイレ2か所、食堂兼台所1か所、倉庫1か所、中庭1か所、2階には寝室1か所、職員用事務室がある。入所対象は、保護者が扶養できない3~18歳の障害児で定員は10人。現在、3人は中度、7人は重度の心身障害児が入所している。職員体制は施設長1人、指導員10人の計11人。施設長は9~17時勤務、指導員は2人ずつ1.5日体制で交代している。児童の1日のスケジュールは表のとおり。
ロマ族が多いグループホームの障害児
筆者の派遣当時、3~11歳だった児童は、現在13~18歳になった。10人中4人が入れ替わり、一人は成人の施設へ、一人は行動に問題があるため別のグループホームへと移動、そして2人(中度知的障害)は里親に引き取られた。
当時入所していた児童10人のうち、両親の所在が不明なのは一人のみで、残り9人は判明していた。子ども保護局は家族の再統合に向けて家庭状況の調査、児童との面談の設定、支援金(障害加算あり)の支給等、家族に働きかけてはいたものの、もとの家族に戻れた児童はいなかった。
保護児童にロマ系が多く、10人中7人がロマ族だ。欧州評議会の推定(2012)では、ルーマニアの人口に占めるロマ族の割合は約8.6%とされている。カサアナと同タイプのホームを2か所見学したことがあったが、いずれも9~10人(定員10人)がロマ系だった。ロマ族は多産な上、社会的に排除されているため、貧困に陥っていることが多い。よって自身の子どもに障害があると養育放棄してしまうことが多いそうだ。
カサアナでの養育状況と地域による支援
通常、指導員2人で児童の支援にあたっている。指導員は児童の保育だけでなく、ホーム内の掃除、洗濯、食事の準備も行わなければならないので、一人がそれらの作業をしている間は、もう一方が10人の児童を見ていなければならない。人手が必要な時は施設長が応援に入るとはいえ、この人数では毎日大忙しだ。個別支援が行き届かないこともあるが、筆者が派遣されていた時にはなかった、機能訓練を行う作業療法士が週2回訪問、服薬管理のための看護師の配置、指導員の増員(8人→10人)、夜勤職員数の増員(1人→2人)と状況は改善されてきている。
また、ルーマニアならではの職員と児童との関わりがある。たとえば、各職員が児童2人ずつのナシュ(法的効力のない後見人)になっている。ナシュはキリスト教国ルーマニアの宗教的な慣習で、生後間もない頃、教会での洗礼式に立ち会い、親に次ぐ責任を持つ存在となる。しかし、児童たちにはその存在がなかったため、職員たちで話し合い、それぞれがナシュになったそうだ。誕生日にはその児童の担当職員が自費でバースデーケーキを購入し、誕生日を祝っている。
また、地域社会との交流や寄付を受けることも多い。クリスマス等のお祝いごとには地元の中高生が鉛筆や消しゴム、果物やお菓子などを持って訪問に来たり、地域の人がクリスマス用の特別な料理をおすそ分けしてくれる。昨年、刑務所の受刑者からの寄付があったそうだ。カサアナ職員が刑務所職員を通して、受刑者たちに児童たちのことを話したところ寄付につながった。代表の受刑者10人が刑務官に付き添われ、ホームまでお菓子を届けに来てくれたそうである。
子ども保護局が基本的な施設の管理費や児童たちの食事等をまかなってはいるが、児童の成長に合った靴や家電が壊れた時にすぐに調達できないのは、筆者の派遣当時も今も変わっていない。そのような入用を知り合いによる口コミや施設長が近所に頼んで工面している。現在使用している、ベッド、テレビ、冷蔵庫、洗濯機等はすべて寄付されたものだ。
おわりに
カサアナの職員と児童たちの親密性の高さや寄付の多さは、文化・宗教的な背景もあるが、施設が小規模であることや住宅街にあることが起因していると考える。職員の入れ替わりはこの10年で一人のみだった。同じ職員が児童たちと長期間、さまざまな体験を共有することそれ自体に価値がある。あと5年もすれば、筆者が派遣中にいた児童はすべてカサアナを巣立っていくが、カサアナはいつまでも彼らにとっての「家」である。
(おちあいさちこ DPI日本会議)
【参考文献ほか】
・早坂隆『ルーマニア・マンホール生活者たちの記録』(現代書館/2003)
・Directia Generala de Asistenta Sociala si Protectia Copilului(HP)
http://www.dgaspcsm.ro/imagine-D-d0jpc-d0jpc.jpg-satumare-M-cuprins-02.html 他
表 日課
時間 | 平日 | 土曜・休日 |
---|---|---|
6:00 | 起床・着替え | |
7:00 | 朝食・トイレ | 起床・着替え |
8:00~ | 障害児のための特別学校や幼稚園の特別支援クラスに子ども保護局の送迎車で移動(小学校では軽食がでる) | 朝食 トイレ 施設内で自由遊びや散歩 |
13:00~ | 帰宅(トイレ、手洗い、着替え) 昼食、トイレ、着替え (対象児童はリハビリテーションセンターで訓練) |
昼食 トイレ、着替え |
14:00~ | 昼寝(必要な児童のみ) | 昼寝(必要な児童のみ) |
16:00~ | トイレ テレビ・自由遊び(室内) (おやつ) |
トイレ テレビ・自由遊び(室内) (おやつ) |
18:30~ | 夕食 トイレ 自由遊び |
夕食 トイレ 自由遊び |
21:00~22:00 | 就寝 | 就寝 |
入浴は日中に済ませている。(週2回)