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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年7月号

ADA25周年を祝う=障害者人権運動を祝う

盛上真美

1990年に成立したADA(障害をもつアメリカ人法)はこの法律のもたらす意義と過去の重みと歴史を大切に覚え、現在に生かし、さらなる発展を願う【レガシー(遺産)】としてその歳を重ねてきた。

ワシントンDCに本部を置くアメリカの障害者の全国組織の多くが「ADA5周年!13周年!22周年!」と記念イベントを“毎年”開催している。私がDCに滞在した11年間の間にも、このイベントは時に「おめでとうADA!」「ADAでもっと社会を良くしよう!」「ADAは最も進化した市民権法だ!」と謳(うた)われるようなお祝い事・パーティーであったり、ある時は「ADAが危ない!」「またADAが弱小化されようとしている!」「ADAを踏みにじるな!」という危機感の張り詰めたラリー(行進)だったりしたこともあった。そのたびに、いかにアメリカの障害当事者がADAを大切に・誇りに思っているかと同時に「もう絶対後戻りはしたくない、させない!」という強い意志でもってADAを守ろうと闘う当事者リーダーの姿に、たとえADAができたこのアメリカでも「まだまだ終わらない闘いが続いているのだ」と実感した。

ADA25周年の今年はこれまでにも増してさまざまなイベントが企画され、全米中の障害者団体が声を上げ、さらなるADA周知を図っている。どんなイベントが開催されているのかいくつか紹介する。

1 フリーダムバスツアー

ADA成立25周年記念イベントのフリーダムバスツアーの幕開けは、すでに2014年7月25~27日ADA24周年のイベントから始まっていた。かつては公的交通機関のアクセス運動、現在では脱施設・地域での自立生活運動にとても活発なADAPT(Americans Disabled for Accessible Public Transitが結成当時の名称)メンバーが筆頭になり、「ROAD TO FREEDOM」(自由への道)バスで全米を周る企画がスタートした。

ADAPTのアクションは、アメリカの障害者運動の中で時に同じ仲間からも敬遠されるほど最も激しい(でも、非暴力)運動体として有名で、その別名を「障害者運動の軍隊」と称されるほど。そのADAPTメンバーのプロテスト(抗議運動)を長年写真を撮りながら追い続け、自身もADAPTメンバーであるカメラマンのトム・オリンとジャニーン・ケンプは、2007年にも1度バスツアーをしている。

その昔、ジャスティン・淑子ダートが50州を周ったことが、いかに地域の草の根の障害者団体・グループとつながることができたかをヒントに、2007年、ADAの効力への法的攻撃(ADAを何とか弱小化させようともくろむ政策や条例)を阻止しようと47州を周った。その後、このバスが障害人権センターによって買い取られADAバスとなり、ADAレガシープロジェクトと提携しADA25周年を祝い、障害者の権利について周知するツアーとして全米を回っている。このバスを迎える各地でADA25周年を祝い、記念イベント・セミナーの開催や、州の法律・条令を強化するためのデモや行進を行なったり、各地でそれぞれの団体が周知を図る活動を展開している。

6月中旬現在、フリーダムバスはジョージア州を通過中、これからインディアナ州、モンタナ州、イリノイ州、ニューヨーク州、ペンシルベニア州等を回り、ADA法署名記念日である7月26日にはDCに到着する予定である。今年、日本全国から若手当事者が参加するTOMODACHI ADA LEAD ON!ツアーも26日、DCにてフリーダムバスを迎える予定である。

2 ADA GALA

GALAとは「お祭り」で、いわゆる祝賀イベントを指す。DCでも毎年、昼間に議員会館等で公式セミナーがあったり、全国組織のカンファレンスがあったりして、夜には「ADA GALA」のパーティーがあった。昼間の公式イベントに来られなかった議員が夜のパーティーに挨拶に来たり、当事者運動の歴史を映像で見せたり、またADA設立に活躍した人たちを称えるなどして、最後には、ダンスとミュージックで皆が楽しく過ごすこともまたADAの思い出の一つになる。

〈LEAD ON! GALA〉 CILアクセスリビング

イリノイ州シカゴにある自立生活センター(CIL)アクセスリビングの代表マーカ・ブリストは、クリントン政権下で大統領諮問機関であるNCD(全米障害者評議会)の代表を務め、ごく最近まではUSCID(米国国際障害者評議会)の代表も務めていた。

アクセスリビングは現在全米一大きく、活発なセンターと言われている。一つの事務所だったが今では一つのビルを構え完全にバリアフリーで、そのビルが州の投票所としても利用されているという。より効果的に地域住民を巻き込み啓発するか、いかにもマーカらしい戦略だ。若手当事者教育・エンパワメントでも優れた人材を輩出し、地元の政府機関はもちろん、国レベルのリーダーとなって巣立っていく若手当事者リーダーの数も全米のCILでアクセスリビングが群を抜いている。

ジャスティン・ダートの功績を称(たた)え、毎年、障害者のエンパワメント・自立の促進や障害の政策などに寄与した個人に「LEAD ON!」賞の授与など大がかりなイベントを開催している。

今年はアクセスリビングの設立35周年記念とADA25周年を祝う特別な年。この記念すべき2015年の「LEAD ON!」賞の受賞者の一人はクリントン元大統領。この日、マーカはクリントン大統領に「クリントン大統領の信頼のおける友人であり、アドバイザーであったジャスティンも大統領が彼の名の付いた賞を受け取ることをとても光栄に思うことでしょう」と言って賞を贈呈した。

アメリカのこうした大きなイベントではよく議員や政府関係者が選ばれるのだが、それにはADAを含むさまざまな障害者政策に尽力を注ぐ議員を称えることで社会の注目を集め、そういう議員を増やしていく狙いもさることながら、特にADAは超党派によって成立した法律であることが常に強調され、いつの政権・政党においても確実に守られていくことを狙いとしている。ADAの毎年のお祝いに「過去そして今現在、ADAをきちんとサポートしてくれている議員」を大きく称え、彼らをADAレガシーの一端を担っていると感じさせることで、ADAの継続と強化を図っているのだ。

3 「障害者の人権運動の歴史」の位置づけ

ADAができる前とできた後の歴史が、すなわちアメリカ障害者の人権運動の歴史でもある。1970年代のリハビリテーション法に付加された第504条の実施を求めた座り込み抗議や、国会議事堂への階段を障害者が這い上がった抗議や、ろう者のためのギャローデット大学の学長選挙で、耳の聞こえない候補者が選ばれなかったことへの反発・大学占拠など、ADA成立につながった多くの運動の展開と、ADA成立後の訴訟の数々と実際の「勝訴」の数々やADAをもってしても困難だった訴訟、ADAの拘束力を何とか弱めようとする圧力との闘いなど、これらすべての「アメリカ障害者の歴史」が昨今では「アメリカの歴史」としても大きく取り上げられるようになってきている。連邦政府が管理・運営するスミソニアン博物館にも「アメリカ障害者の歴史」が取り上げられている。

さらに今年の大きな取り組みとして、6月8日には「America’s Disability Rights Museum on Wheels」(アメリカの障害者モバイル博物館)と題して、大型トレーラーが数々の歴史のシーンを写真や音声・映像機器によって見て学ぶことができる博物館として各地を回り、7月26日よりフリーダムバスと一緒にワシントンDCに滞在する。

またつい先日は、ADAレガシープロジェクトからTIMEに「アメリカを変えた25の瞬間」という特集記事が紹介された。そこには最も古いものでは1911年のNYでの大火災や、ケネディ大統領の暗殺事件、ブルースゴスペルの発祥等々実に激動のアメリカの歴史を物語るものばかり。このリストに連ねて24番目にADAの成立が「20世紀の終わりにようやくアメリカはこの人たち(障害者)を無視することはできないと向き合った」と書かれている。(TIME, Iriye)

こうして「アメリカ障害者の歴史」が「アメリカの歴史そのもの」として受け入れられている、またそのように障害者運動もADAの歴史を大切にし、祝い、伝えていることがうかがえる。

4 全米自立生活協議会(NCIL)

NCILの総会・セミナーは毎年、全米各地の自立生活センターのメンバーが一同に集まる一大イベントとなっている。この大きな大会で、今年はいつも以上の盛大なイベント・祝賀会になると期待も大きい。基調講演・ランチョン、夜のレセプションなどすべての企画がADA25周年祝いと、今後ADAをどう守っていくのかということに向けられている。

今年のNCIL会議のテーマは【Generation ADA, RISE UP!】(ADA世代、上がってこい!)。ADA成立の1990年に生まれた子どもたちは成長して今年25歳、このADAと共に育った世代をADA世代と名付け、ADAと共に育った若者、彼らはこの運動の担い手となる準備ができていて、リーダーとなるためのサポートを必要としている。我々の成功を持続するためには若い彼らが継続してメンバーとして参加し、自立生活運動、障害者運動のリーダーシップを取れるように育てていく必要がある―と呼び掛けている。この会議に日本からも若手当事者が参加する。歴代の日本の障害者リーダーが米国のリーダーと深い絆を築いて長年「同志」として付き合い、励まし合ってきたように、日本の若手リーダーもぜひ米国のADA世代とこれからの世界の当事者運動をリードしていく強い関係を築いてほしいと願う。

ダートは「ADAは守っていかねばならない約束だ」と語った(1992)。その約束とは「法律でどんな言葉を使おうと、ADAの明確な約束は【すべての障害者が完全に平等で、完全に独創的で、完全に豊かで、完全にメインストリーム社会に歓迎される参加者である】ということである。この約束を守り続けることは容易なことではない。」

また、ダートは息を引き取る1週間前のインタビューで、ジューン・ケイルズからの「【あなたのレガシー】として何を受け継いでほしいか?」という問いに対し、こう語った。

「私のレガシーはすべての人が賛同できる【ひとつのこと】のために人々を繋(つな)ごうとする連帯であってほしい―そしてその【ひとつのこと】とは【愛】であり、多くの偏見や政治的価値をも超越した尊い価値をもつ一人ひとりの人の生命への【愛】である。」

〈ADA25周年に寄せて〉

「すべての人が愛され、尊重され、平等に扱われ、メインストリーム社会に統合される理想の世界を作るには、私たちみながそれぞれに秘めた可能性をフルに生かしたリーダーになる必要がある。

今でなく、いつ? 私たちは誰かが平等にしてくれるのを待ってはいけない。今こそ、その時なのだ。 私たちでなく、誰が? 私たちこそがリーダーなのだと気づかなければいけない。

25歳のADAを情熱と熱意でもって保存し、祝い、教育していくことで私たちは自らを、家族を、地域と社会とメディア、そして世界をエンパワーしようと試み、次の大胆なステップを踏みだすのです。」

▽From ADA to RIE―Revolution of Individualized Empowerment!

▽ADAからRIE―一人ひとりのエンパワメント革命へ!」(淑子ダート)

図1拡大図・テキスト

図2拡大図・テキスト

(もりがみまさみ 全国自立生活センター協議会)