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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年7月号

1000字提言

人から学び、自分を変えることができる。

河原仁志

私たちは、独りでは生きていけません。いろんな意味で頼りあっています。でも日々の生活に追われ、こんな当たり前を忘れがちではありませんか。そのために頼る方と頼られる方が無駄ないさかいを起こすのが残念です。なぜなら頼る―頼られるという関係は、場面により変化します。「あなたは頼る人」「私は頼られる人」と決めつけられません。したがっていさかいは起こりません。起こしてはいけません。

神経難病や障害をもつ方の医療を行なっていると、無力感にさいなまれることがあります。でもそんな時に患者に助けられる私は恵まれています。悩んだり、困り果てたりしたら解決のためのアドバイスをもらえるからです。

「できないことを嘆くのじゃなくて、できることをひとつひとつ拡げていけばいいだけです。」

これは以前、勤めていた病院に入院する筋ジストロフィー患者の言葉です。

筋ジストロフィーは、遺伝子の変異により筋肉に異常が起こり壊れていく先天性の病気です。徐々に筋力が落ちていき歩行が困難になり、車いす移動を余儀なくされ寝たきりになります。やがて人工呼吸が必要になり、筋肉の塊である心臓の機能が低下して死に至る難病です。治療法はまだなく、患者の多くは幼いころから運動機能の低下に苦しめられます。つまり「できていたことができなくなる」という厳しい現実を常に突き付けられ、その壮絶な生きざまは「喪失の連続」とも言われます。

入院生活も長くなれば、仲間の死をまじかで見るのも多くなり、どうしても「死」を意識して生活を送らざるを得ない現実もあります。しかも、こういった入院生活は、ほとんどの場合、本人の希望ではなく、家族の都合(在宅介護困難)で継続されています。さらに彼らから「自分がこの病気になったことで家族に迷惑をかけている」という悲しい告白もよく耳にします。

こういった患者に主治医として付き合っているときに、この言葉を聞きました。医療者として呼吸不全や心不全の対症療法に追われて、徐々に勤務が辛くなっていたころでした。失われていく身体の機能、困難が増す日常生活に悩む患者が、私にふと漏(も)らした言葉です。私は驚くとともに、まさに救われる思いでした。

難病患者・障害をもつ方のサポートは長期戦です。失われるものがあれば、得られるものもあります。そんな気持ちを大切にしていきたい。人から学ぶ・教えられるチャンスは、自分たちの生活の中にあふれているような気がします。

固定化された関係性の中に埋まらないように、「頼るも頼られるもお互い様」とつぶやきながら、もう少しこの仕事を続けて行こうと思います。


【プロフィール】

かわはらひとし。1957年愛知県生まれ。国立病院機構八戸病院臨床研究部長。筋ジストロフィー、てんかんなどの小児神経疾患の専門医。摂食嚥下リハビリテーションにも積極的に取り組み、世界初の非接触・非侵襲の嚥下機能評価器を発案して、(株)イデアクエストに協力。臨床応用を目指している。障害をもつ方の芸術活動支援も行い、多くのミュージシャンとも親交がある。