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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年7月号

3.11復興に向かって私たちは、今

わたしの避難体験
~感謝を力にかえて~

志賀千鶴

みなさん、こんにちは。志賀千鶴と申します。わたしは、震災前は福島県浪江町に住んでいました。現在は、福島県二本松市に避難しています。今日は、わたしの避難体験と現在の状況について書きます。

1 わたしの避難体験(薬の確保に苦労したこと)

東日本大震災の翌日、突然の避難指示です。防災無線が鳴りました。「総理大臣の命により、浪江町民の方は津島地区に避難してください」と。訳が分からず、津島地区の体育館に避難しました。後で、原発が爆発したことを知りました。体育館での避難生活のはじまりです。

その頃は混乱状態で、薬の調達に苦労しました。わたしは薬を1週間飲んでいませんでした。薬を手に入れることをあきらめていました。妄想くんがあばれまわっていました。幻聴さんもやってきました。現実感のない状態をさまよっていました。その頃、橋本さん(コーヒータイム所長)が体育館に来てくれました。うれしかったです。橋本さんが来てくれたおかげで、わたしは背中を押されました。薬を調達する意欲がわいてきたのです。保健師さんに連絡して、福島県立医科大学付属病院に連れていってもらいました。

と、なぜか病院には入らず、薬局に行って薬をもらうことにしました。後で思ったのは、病院は混乱していて診てもらえる状態ではなかったのです。というわけで、処方箋はありません。薬局の人は言います。「処方箋がないと、1週間分しかだせません」と。わたしは頼みます。「なんとかここまで来たのですから、せめて2週間分だしてもらえませんか」と。すったもんだのやりとりがありましたが、結局1週間分ということでした。

それなら、近くの病院で処方箋を書いてもらおうということになりました。病院を捜していると、産婦人科の病院がありました。産婦人科の先生は、薬の事典のようなものを持ってきて、わたしの薬を一つ一つ調べてくれました。そして、処方箋を書いてくれました。それを持って薬局に行き、2週間分の薬をもらうことができました。ほっとしました。

以上が、わたしの避難体験で薬の確保に苦労したことです。

2 現在の状況(コーヒータイムの再開)

わたしは、浪江町では、コーヒータイムという福祉事業所に通っていました。現在、コーヒータイムは二本松市で再開しています。コーヒータイムは喫茶店をしています。喫茶店には、浪江から避難している人はもちろん、二本松の人も来てくれます。

わたしにとって、お客様の殺し文句があります。第2位「コーヒーおいしかったよ」、第1位「また来るからね」です。そう言われるとうれしいです。人の役に立っている感じがします。生きがいにつながります。

わたしは、統合失調症です。毎晩、テレパシー発信と幻聴さんがやってきます。辛いです。でも、コーヒータイムにいる時は幻聴さんはやってきません。コーヒータイムの仲間やお客様に囲まれている時は、大丈夫です。不思議なものです。

コーヒータイムは生きがいです。コーヒータイムには5つのキャッチフレーズがあります。

1つ「ほっと一息コーヒータイム」

1つ「飲み食い実費のコーヒータイム」

1つ「歌って踊れるコーヒータイム」

1つ「楽しいことすっぺのコーヒータイム」

1つ「家にいるよりコーヒータイム」

です。「楽しいことすっぺのコーヒータイム」は震災後にうまれました。避難中でも、楽しいことをみつけて、避難生活をしのいでいこうということです。

わたしは、今、アパート(みなし仮設)で一人暮らしをしていて、このキャッチフレーズを壁に貼ってながめています。

これからの夢は、コーヒータイムの“ぬし”になることです。“ぬし”のイメージはこうです。いつもは沼の底に沈んでいます。そして、上の人たち(コーヒータイムの人たち)をながめています。いざとなったら、どろどろ~と上がっていって、コーヒータイムの人と行動を共にします。わたしは、コーヒータイムの“ぬし”になるべく、日々修行中です。

このように、わたしが元気でいられるのは、全国の皆様の応援のおかげです。ありがとうございます。この恩に報いるのは、一歩ずつ進んでいくことだと思います。これからも、コーヒータイムを見守りください。

(しがちずる 就労継続支援B型事業所 コーヒータイム)