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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年8月号

時代を読む70

日盲連の誕生

日本盲人会連合は、1948(昭和23)年夏の8月18日、産声を上げました。

大阪府貝塚市の二色浜にあった府立海洋道場(青少年の水練施設)にて開催された結成大会には、全国20数都府県の盲人会代表約70人が参加し「灼熱の太陽が白砂を焼き、足の裏を焦がさんばかりの暑い日であった」「会場は活気に満ち溢れ、汗だくの中熱い討議が行われた」と記録にあります。

まだ戦争の焼け跡と残り香が漂うような時代、人々が集まる会場もなく「参加者各自が米を持参し、料理も質素そのもの」であったと、当時の劣悪な事情にもかかわらず、困難を乗り越え結集した参加者の熱い思いが伝わるような記録も残されています。

大会では、「盲人の文化的、経済的向上と社会的地位の躍進を図り、進んで平和日本建設のため、真に人道的使命に立脚し、社会公共の為に寄与せん」と高らかに宣言し、1.日本盲人の福祉と文化の向上の為、平和の戦士たらんことを期する、2.世界的標準に立つ盲人社会立法の制定を期する、3.盲ろうあ義務教育の完全実現に協力する、4.旧職業の保全と新職業の開拓・育成に務めるなどの目標と、5.盲人付添乗車賃の免除、6.盲人への各種税金の減免、7.都道府県に盲人課を設置することなどの具体的要求など、今日につながる決議を採択しています。

1946(昭和21)年日本国憲法が交付され、国民こぞって憲法学習にいそしんでいたこの時代「戦争は終わった。非国民と言われ臆する時代は終わったのだ!さあ、新時代を作ろう!」という意気込みを記した記録が広島県の盲人会に残されています。

そんななか、「身体障害者福祉法」が制定され、私たち障害者の未来像が具体的に示されたことを背景に日本盲人会連合は旗を揚げました。

その意味では、日本盲人会連合は、戦後の身体障害者の歴史とともに歩んできたと言っても過言ではありません。

結成大会に相前後して初代会長の岩橋武夫、副会長の磯島慶司、大野加久二などが全国を遊説して歩いた記録が各地に残されています。

こうして1、2年のうちにほぼ現在の日盲連の体制が出来上がったのです。

しかし、日盲連はその日に忽然(こつぜん)と姿を現したのではありません。むしろ全国各地で盲人会結成の動きがあり、それらの代表者が全国組織を立ち上げたというのが、真の姿と言えます。

また、戦前の1940(昭和15)年に一度その試みが行われ、選挙区の悪化の中頓挫(とんざ)したという経過があります。

日盲連は、戦前からの先輩諸氏の努力の上にやっと結成された全国組織です。

今年は戦後70周年、この機会に来し方を振り返り、新しい時代を展望してみたいと思います。

(藤井貢(ふじいみつぐ) 日本盲人会連合組織部長)